Part 2 百日天下
第4章 鷲は飛んで行く
10.リヨンの皇帝令
ナポレオンはグルノーブルに一日半滞在することに決めた。
兵士たちも自分もカンヌからここまで300キロの山道を踏破した。
そろそろ休息してもよいだろう。
翌日は、町の中心グルネット広場で閲兵するだけにした。
兵の数はいまや7500。エルバ島を出たときの約10倍である。
3月9日。
昼食後に出発し、翌日の夜9時ごろリヨンに着いた。
フランス第2の都市の下町の群集は、松明をかかげて待っていてくれた。
これまでの多くの町で聞かれた「皇帝万歳!」のほかに、ここでは「王党派を殺せ!」「聖職者をやっつけろ!」「街灯だ!」などの叫び声が飛び交っている。
1789年の大革命のときに、暴徒化した者たちが貴族を縛り首にして街灯につるした。
そこから「街灯」には「リンチをくわえる」の意味が生じた。
あのときの血なまぐさいスローガンが、いま復活したのである。
ナポレオンは大司教館に泊まり、翌日の午前にリヨン市の名士や高位聖職者に会った。
午後はとじこもって執務。
新たな施政方針を国民に発表するための文章を練ったのである。
すでにグルノーブルで、農民を教会の10分の1税から守ること、国有財産を取得した者をエミグレや貴族の強奪から守ることは約束している。
それに加えて、リヨンでは以下の「皇帝令」(デクレ)を出すことにした。
アンシヤン・レジームに由来する貴族身分とその特権を廃止する。
王の軍隊を廃止する。
現在の両院を解散させる。
パリで「シャン・ド・メ」をひらき、各県の選挙人に憲法の改正に必要な措置を講じさせる。
「シャン・ド・メ」とは5月の集会の意味。
大革命時の1790年7月に、バスティーユ占拠1周年を記念して「シャン・ド・マルス」(練兵場)で開催された祭典を連想させることばである。
(続く)