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物語
ナポレオン
の時代

    Part 1  第一統領ボナパルト

   
 第7章 ナポレオン法典 

   2.第一統領の流儀

 カンバセレスは民法典をつくることの意義を第一統領に熱心に説き、納得させた。
 1800年8月、ボナパルトは民法典起草委員会の設置を命じ、4人の起草委員を任命する。
 マレンゴの勝利の2ヶ月後である。  
 年表を見れば気がつくことだが、内政上の懸案――コンコルダにしても、プロヴァンス伯の手紙への対応にしても――に政府が本腰をいれて取り組んだのは、マレンゴでオーストリアに勝ったあとである。
 この勝利のおかげで、政権の基盤が強化されたことが大きい。
 第一統領は、4人の委員に「3ヵ月以内に草案を提出せよ」と命じた。
 3ヶ月という期限。
 これがボナパルトの流儀である。
 人は、課された仕事を、あたえられた時間内で終えようとする。
 時間がかなり短くとも、ミニマムのスパンがあれば、それなりの成果はだせるものである。
 多くの時間があるからといって、時間の長さに見合う良い仕事をするとはかぎらない。
 一例をあげれば、アカデミー・フランセーズの辞書。
 アカデミー・フランセーズは17世紀に発足した権威ある組織で、その会員は知的・精神的な領域でフランスを代表する人物である。
 会員の役割は、主として辞書を編纂することと各種の賞を授与すること。
 ところが、最初の『アカデミー辞典』を刊行するのに、会員たちはなんと56年もかけた。改訂第2版が出版されたのは、その23年後。
 それなのに、できばえは良くない。それほど良い内容でもない。学問的にもあまり権威がない。
  ボナパルトはあるとき学士院の会員に「アカデミー辞典のつぎの版が出るのはいつごろか?」とたずねて、「40年後ぐらいでしょう」という答えを聞いて、立腹した。
 各領域の大家である会員たちが名声の上にあぐらをかいて仕事をなまけている、と判断したのである。
                                                              (続く