Part 1 第一統領ボナパルト
第2章 マレンゴの戦い
7.戦闘開始
6月10日、ストラデッラの司令部に、ドゥセ将軍がふらりと現れた。
ドゥセはボナパルトがもっとも信頼する部下のひとりで、部下というより友人に近い。
かれは貴族の出であり、革命のとき家族がみな亡命したのに、なぜか国内にとどまり、革命軍で優秀な指揮官として頭角をあらわした。
評判を聞いたボナパルトがエジプト遠征に連れて行くと、司令官としても、現地での施政者としても、期待にたがわぬ見事な働きをした。
エジプトから帰国するのが遅れたドゥセは、とるもとりあえずイタリアに駆けつけたので、軍服を着ていない。
ボナパルトは一個師団を与えて、南のノヴィに行くように命じた。
6月14日早朝、オーストリア軍が攻撃してきた。戦端が開かれたのだ。
この時代の戦争は、火力の競い合いからはじまる。
オーストリア軍の兵力は約3万、大砲の数は100門だった。
フランス軍は南北に兵を分散配置しており、ここに残っているのは2万2千ぐらい。
大砲の数については諸説あるが、多くても40門。少なく見積もれば5門。
いずれにせよ、兵力でも火力でも、敵側が圧倒的に優勢であった。
オーストリア軍の兵士たちは轟轟と砲声をあげながら、ボルミダ河を渡って攻め込んできた。
激しい砲弾の雨にさらされたフランス軍は、初めのうちはもちこたえるものの、やがてマレンゴ村の方にじりっじりっと後退する。
ボナパルトは騎馬伝令をドゥセに送り、できるだけ早くこっちに引き返すように命じた。
援軍が到着するまで、時間をかせがなければならない。
逃げ腰になっている兵士たちを落ち着かせ、士気を鼓舞する必要がある。
かれは前線に出て行き、馬上から兵士たちを激励してまわった。
そのうちやおら馬から降り、手綱を持ったまま、土手に腰をおろた。
鞭をもてあそびながら、なにか考えこんでいる。 (続く)