物語
ナポレオン
の時代
以上の2論文に対して、フォシュフーヴドは以下のように再反駁した。
もし壁紙の塗料に含まれる砒素が気化したことによる中毒事故であったのなら、ナポレオンの毛髪中の砒素量がジグザグ状のカーブを示すことはないだろう。
また、吐酒石のアンチモン(と甘こうの水銀)はいわばナポレオンの息の根を止めたが、毒の主役はあくまで砒素であった、と。
1990年代に入って、フォシュフーヴドを擁護するフランス人学者が現れた。
元モンペリエ大学教授で著述家のルネ・モーリである。
その著書『ナポレオン暗殺 ーセント・ヘレナのミステリー』で、モーリは毒殺の方法と犯人に関するフォシュフーヴドの指摘は正鵠を射ている、と明言した。
ただし、このナポレオン好きの経済学者は、犯人の動機については独自の意見を持っていて、復讐と遺産金狙いのためだったと主張している。
アルビーヌと結婚したために職を追われたことで、モントロンとその妻はヨーロッパ中に恥をさらした。
成り上がり者ボナパルトによって、名門貴族が屈辱をこうむったのだ。
その屈辱そそぎたい。
またモントロンには賭博癖があり、蓄えはほとんどない。
失墜したフランス皇帝は世間から大金を持っていると見られている。
流謫の地に随行して主君に忠勤を励むなら、相当の遺産金をもらえるに違いない。
モントロンはそう考えてセント・ヘレナ島に行き、誠実な側近のふりをしながら殺人の罪を犯したのだろう。
なお、モントロンがフォシュフーヴドの推定したような「殺し屋」でないことの根拠として、ルネ・モーリは以下の2点を上げている。
1。かりにブルボン家からナポレオンの暗殺を命じられたのであれば、単身で島に渡ったはず。
妻子を伴えば足手まといになるだけである。
2。モントロンは後年ルイ・ナポレオン(ナポレオンの甥)のもとに馳せ参じ、王政を倒すべく策をめぐらした。
ブルボン家との関係の深い者がそのようなことをするだろうか?
(続く)
フォシュフーヴドによれば、吐酒石は胃の粘膜にダメージをあたえ、自衛手段としての嘔吐反応を胃から奪います。
つまり、毒を排除できなくするわけで、これが「止めを刺す」の意味です。
砒素と吐剤の併用によって、胃に潰瘍ができるため、あたかも胃潰瘍が原因で死んだようにも見えます。
犯人からすれば、一石二鳥というわけです。