Part 1 第一統領ボナパルト
第2章 マレンゴの戦い
9.信じられないメラス
この2時間ほどまえに、オーストリア軍総司令官メラスは腕に軽傷を負って後方にしりぞいていた。 緊急の手当てが必要だったわけではない。へばっていたのだ。
老将軍にしても、状況がおもわしくなければ、戦場を離脱することはなかった。
メラスは勝ったと思い込んでいた。
だから、アレッサンドリアに戻るやいなや、ウィーンに急使を送り勝利を知らせようとする。
総司令官が姿を消してから、戦況は一変した。
ケレルマンの率いる騎兵隊の突撃にオーストリア軍は不意をつかれ、激しくサーベルで切りつけられ、突進してくる馬になぎ倒された。
騎兵も歩兵も、砲兵も車両も、入り乱れて総崩れになった。
フランス軍はここぞとばかり攻勢にでる。
午後7時、メラスのもとに自軍の旗色が悪いという知らせがとどいた。
多くの将兵が降伏し、参謀長ツァッハまでが捕虜になったという。
信じがたい報告だった。
メラスは夜もふけてから幕僚会議をひらき、48時間の休戦と両軍の間で協定を結ぶことをフランス側に提案することを決めた。
戦史家によれば、オーストリア軍はまだまだ戦えたし、フランス軍にさほどの余力は残っていなかったらしい。
しかし、71歳のメラスに戦闘を続行する気力はもうない。
ボナパルトは休戦に同意した。
これ以上長くパリを空けたくなかったのだ。
仏墺間の休戦協定は、後日パリとウィーンの交渉にゆだねられることになる。
結局、死傷したオーストリア軍兵士の数は約9000名、フランス軍は約6000名である。
マレンゴから800キロ離れたパリに、「仏軍勝つ」の報が届いたのは6月22日。
戦闘が終わってから8日後である。
すでに述べたように、この時代の情報伝達はスローであるが、それにしてもこれは遅い。
この遅滞が、大小さまざまなドラマを生むことになる。 (続く)