Part 2 百日天下
第7章 ナポリ王ミュラ
2.ボナパルト家の一員
ミュラがナポレオンのいちばん下の妹カロリ−ヌにはじめて会ったのは、18年前の1797年6月。 イタリア遠征軍が勝利につぐ勝利を重ねて、先行きが見えはじめたころである。
母親レテツィアをはじめボナパルト一族のほぼ全員が、ミラノ近郊モンベロの城館に集まり、長女エリザの結婚について話し合うことになっていた。
ジョワシャン・ミュラはこのとき29歳、ナポレオンの副官としてそこに同行した。
黒い巻き毛に囲まれた整った目鼻立ち、180センチを越す長身、脚が長くかっこうのよい体つき。
15歳のカロリーヌは一目で魂を奪われた。
ミュラはいつだって女性にもてたし、イタリア遠征中も各地の美女と浮き名を流している。
いわば名うてのプレイボーイなのである。
若い娘から賛嘆のまなざしを注がれて悪い気がしなかったのか、ミュラはやさしく応対した。
それに相手はイタリア遠征軍の総司令官の妹なのだ。
2年半後の1800年1月、二人は結婚にゴールイン。
あいだにエジプト遠征が入ったために、時間がかかったのである。
年齢差が大きいのを気にした新郎は、自分の年齢を4歳少なくして申告している。
こうしてボナパルト一族のメンバーになったミュラは、ナポレオンが第2次イタリア遠征軍を組織するに際し、予備軍司令官代理ならびに遠征軍騎兵隊の司令官に任命された。
グラン・サン・ベルナール峠を6000名の部下を率いて超え、マレンゴの戦いにも参加している。 それほど活躍したわけでもないが、戦いのあとには「名誉の剣」を授けられている。
が、この程度の地位と表彰ではミュラにはものたりなかった。
機会あるごとにナポレオンに手紙を書き「わたしが存分に働ける場をあたえていただきたい」と訴え続けた。
上昇志向のつよい男なのである。
(続く)