本文へスキップ

物語
ナポレオン
の時代

        Part 2  百日天下
      
  第3章 ウィーン会議
 
   
   6 3月7日のメッテルニヒ
 
    
     ロシア皇帝もプロイセン王もホーフブルク宮殿に宿泊しているので、
    こういう場合には好都合である。メッテルニヒは8時15分に
アレクサ
    ンドル1世
に、8時半にフリートリッヒ・ヴィルヘルム3世に面会し、
    それぞれにこの重大情報を知らせた。
     ふたりの君主は仰天している。
     そのあとメッテルニヒは大国の代表たちを10時に招集する手はずを
    ととのえた。
     イギリス代表はウェリントン公爵である。
     カスルレー外相が議会対策のためにわかに帰国し、代わってこの有名
    な軍人がウィーンに乗り込んできたのだ。
     ロシアはネッセルローデ。プロイセンはハルデンベルク。フランスは
    すでに述べたようにタレーラン。
     メッテルニヒに最初に招じ入れられたのは、タレーランである。
     この外交官は足が悪いので、びっこをひきながらゆっくりと入ってき
    た。
     かれにとって午前10時は早い時間であり、茫然とした表情をしてい
    る。
     ナポレオンがエルバ島から姿を消したと聞かされても、眉一つ動かさ
    ない。
     ただ、こう尋ねた。
     「どこに行ったか、ご存じですか?」
     「電報には、そのことが書かれていません」
     「イタリアのどこかに上陸し、そのあとスイスに向かうのでしょう」
     メッテルニヒは青い目で相手を見つめながら、答えた。
     「いや、かれはまっすぐパリに行くでしょう」
     このあとでオーストリア宰相と会ったハルデンベルク、ウェリント
    ン、ネッセルローデは、すぐにタレーランを疑った。
     なんといっても長いあいだナポレオンの大臣だったのだし、平気で人
    を出し抜く男である。
     とはいえタレーランは昨年9月からウィーンを離れていない。
     そして他の国の代表と同じように、オーストリア警察の監視下にあっ
    た。
     ナポレオンとしめし合わせた可能性はどうやらきわめて小さいよう
    だ。
                                (続く)