Part 2 百日天下
第3章 ウィーン会議
7.タレーランのすばやい反応
タレーランにしてみればとんでもない濡れ衣である。
たしかに、ナポレオンのために以前は尽くした。
自分なりに政治的・外交的に協力を惜しまなかった時期もある。
天才的な若き軍人に魅了されていたのだ。
しかるに、皇帝になってからのナポレオンとの間にはくい違いが生じ、しばしば隙間風が吹くようになった。
はっきりとナポレオンを見限ったのは、スペイン戦争の頃である。
この1815年3月7日、タレーランはパリのルイ18世に手紙を書き送った。
ナポレオンのエルバ島脱出を知ったウィーンの反応がどのようなものか。
それを報告しつつ、ブルボン王家への自らの恭順をそれとなく表明したのだ。
つまり「わたしがナポレオン側につくことはありません。ご安心ください」と、いちはやく知らせたのである。
と同時に、メッテルニヒにその朝述べたように、ナポレオンの行き先はジェノバかパルマであろう、とも予測してみせている。
手紙には書かなかったが、率いる手兵は少ないはずだから、まずナポリ王ミュラと合流するだろう、とタレーランは考えていた。
ミュラの支援を受けて軍勢をふやしてから、フランスに向かうのではないか。
しかしながら、それでもルイ18世の軍隊を破ってパリまで進撃するのは無理だ、というのがタレーランの見立てだった。
「いまウィーンには、ヨーロッパ各国の君主・外相が集まっている。ナポレオンを弾劾する声明を出すには、千載一遇の好機ではないか」
そう思いついたかれは、すぐに動きはじめる。
会議のあとで、レセプションで、食卓を囲みながら、あるいは舞踏会の片隅で、ヨーロッパ各国の首脳を相手に、タレーランは精力的に説得をはじめた。
(続く)