Part 1 第一統領ボナパルト
第8章 戴冠式
1.後継者はだれ?
2年まえに終身統領に就任したとき、ボナパルトは事実上フランスの君主になったといってよい。
とはいえ、君主そのものではない。
君主制には世襲がつきものだが、終身統領の地位は世襲でないからだ。
なるほどボナパルトには「後任に当たるべき一人の市民を推薦する」権利が認められている。
しかし推薦された人物が自動的に後継者になるのでなく、いくつかの手続きをふまなければならない。
サン・ニケーズ街のテロ事件や最近の「大陰謀」を経験したあと、ボナパルトが実感したことがある。 「後継者がいれば、それが自分を守る盾になる」と。
第一統領の生命を奪っても体制が存続するのであれば、陰謀もテロも減少するだろう。
だから、後継者は決まっているほうがいい。
ところが、嗣子はいない。
妻ジョゼフィーヌとのあいだに子どもができる可能性は、かぎりなくゼロに近い。
かの女はすでに40歳。
息子のウジェーヌは23年まえに、娘のオルタンスは21年まえに生まれている。
この2人は亡夫とのあいだの子どもである。
ボナパルトの4人の兄弟はどうか? かれの見るところ、後継者になりうる者はひとりもいない。
兄のジョゼフとは10年ほど前までは仲がよかった。
ジョゼフが結婚したジュリー・クラリーの妹デジレと、かれ自身も結婚しようかと考えたほどである。
兄を参事院の評議官にしたり、コンコルダやアミアン条約の締結時に名目的なフランス代表に任命したのは、肉親の情と期待からだった。
が、ジョゼフが凡庸なことがしだいに明瞭になってきた。
性格が温和なのはよいが、それだけなのだ。
すぐ下の弟リュシヤンは、一定の能力を有するものの難の多い男である。
その下の弟ルイは、神経衰弱ぎみ(現在なら、心身症と呼ばれるだろう)。
末弟のジェロームはのんきなプレイボーイであり、これといって取りえはない。
(続く)