Part 1 第一統領ボナパルト
第6章 裁判
6.好ましからざる人物
スタール夫人の言動にほとほと困まり国外追放処分にしたのは、ボナパルトだけではない。
革命政府の国民公会も、総裁政府も、まったく同じ措置をとっている。
国民公会の下で公安委員会は、1795年10月、夫人を「ペルソナ・ノン・グラータ」として国外追放に処した。
ペルソナ・ノン・グラータはラテン語で「好ましからざる人物」の意味。外交用語としてよく用いられる。
総裁政府も1796年4月に同じ内容の布告を発しており、「もし帰国したら逮捕する」という警告までしている。
すでに述べたように、スタール夫人はジャック・ネッケルという首相兼財務大臣で大金持ちの父親に溺愛されて成長した。
わがままな生活習慣が身についているうえに、性格的にも勝ち気なので、自分が思うがままに欲するがままに生きた。
サロンでは政治上の問題について理想主義的な見解を披瀝し、しばしば政府の方針を激しく批判した。 話し相手を選ばず、時と場所への配慮にも往々にして欠ける。
夫人が日ごろ交際するのは、貴族や富裕なブルジョワ、あるいは軍の高官などであり、そのなかには王党派や反政府的人物も含まれている。
スタール夫人は現代の言葉でいうなら「セレブ」であり、出版する本は評論であれ小説であれ、よく読まれ評判になった。
というわけでかの女がサロンで口にした言葉はすぐに広まり、多くの人の知るところとなる。
国民公会も総裁政府も、そしてボナパルトの政府も、世論を「好ましからざる」方向に引っ張っていく夫人にほとほと手を焼いた。
その結果が追放処分である。
ところが、スタール夫人はサロンのない場所には生きられない。
知的な会話がかの女の空気であり水である。
パリの社交界とサロンを奪われて、どんなに不幸であったことか!
「あの男(ボナパルト)を心から憎悪していた」は『追放の十年』のなかにある文章だが、このタイトル自体が夫人の憤懣を示している。(続く)