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物語
ナポレオン
の時代

       Part 2  百日天下

    
第2章 脱出

    7.罠なのか? 

 これまでナポレオンは、軍人としても政治家としても、しばしば幸運の女神に助けられてきた。
 すぐれたリーダーというのは、観点をずらせば、運のよい人間のことである。
 ナポレオンはその意味でも、リーダーの資格十分だった。
 とはいえ、エルバ島からの脱出行は、あまりについていた。
 狭いリグリア海を3日間も航海したのに、イギリス船に一度も遭遇していない。
 ポルトフェライオでも大型船を調達したり船内に大量の武器や相当数の軍馬を運び入れたりしたのに、だれにも不審がられることがなかった。
 そしてこの肝心の時期に、イギリスの監視委員
キャンベル大佐が島を空けていた。
 ラッキーすぎて眉につばを塗りたくなる。

 連合国は見て見ぬふりをしていたのだ。
 ある魂胆があって、しばらく泳がせていたのだ。
 そう考える人間がいても不思議でない。
 事実、そうしたことを皮肉る風刺画が当時でまわったし、現代の著述家のなかにも「見て見ぬふり」説に傾く者がいる。
 もしそうなら、連合国の「魂胆」とはなにか?
 ナポレオンを二度と帰ってくることができぬほど遠い場所に追いやること。
 そのための口実を得ること、であろう。

 イギリスの外務大臣カスルレーも、オーストリアの宰相メッテルニヒも、「エルバ島は近すぎる」と思っていた。
 その点で同意見のタレーランは「オペラグラスで覗けるほどの距離ですよ」と、かれ一流の皮肉をとばしていた。
 ところがロシアのツァーは「いったい何の権利があって、あの男をエルバ島から引き離すのか」と、いいはっている。
 この島の名前をはじめに口にしたのが、アレクサンドル1世自身であり、いまさら拘留地を代えたりすれば面目を失う。
 そう思っているらしいのだ。
 だから、再追放するにはそれなりの理由が必要だったわけである。

   ナポレオンのエルバ島脱出を知りながら、連合国側が「見て見ぬふり」をしたという噂あるいは風評。
 その噂をながしたのは、じつはナポレオン自身だった可能姓がある。
 義父のオーストリア皇帝は娘婿の自分に好意的であるし、連合国はひそかに水面下で自分と握手している。
 フランス国民にそう信じこませたかったとしても不思議でない。
 なにしろわずか700名ほどの手勢で帰国したのだし、兵力的にはきわめて劣勢だった。
 あらゆる手段で、ブルボン王家とその軍隊を牽制したかったに相違ない。


                                      (続く)