Part 1 第一統領ボナパルト
第4章 フランス vs. イギリス
2. 追いつめられるピット
イギリスの海軍は強いが、陸軍はフランスの方がはるかに優勢である。
陸と海とで、戦力の「ねじれ現象」が存在していた。
自国陸軍の数的な劣勢を補うためにピットが考えたのは、コアリッション(同盟)をくむことである。 大陸の主要な国々に対仏連合への加入を呼びかけたのだ。
その呼びかけに応じたのはオーストリア、プロイセン、オランダ、スペイン、ポルトガルなどである。 こうして1793年に「対仏大同盟」が成立した。
これは、後年「第1次」対仏大同盟と呼ばれるもの。というのも、つくられては消え、またつくられるということが、以後10回以上も繰り返されるからだ。
1801年の初頭に――フランスとヴァチカンのコンコルダ交渉が難航していた時期である――イギリス首相ピットは苦境にあった。
外交的には、盟友国オーストリアがどうやら対仏大同盟から脱落しそうである。というのも、この国はマレンゴに続いてホーエンリンデンの戦いでもフランスに敗れて、ボナパルトとの間で和平交渉をせざるをえなくなったのだ。
国内的には、政府は財政難に陥ってる。 同盟国のオーストリアやロシアに莫大な軍事費を援助しているのが重い負担なのだ。
外交でインテリジェンスを重視するのはイギリスの伝統であるが、多数かかえている諜報員に支払う報酬もバカにならない。
国外に逃れたフランスのエミグレたちにまで、財政的なサポートをしている。
たしかに当時のイギリスは経済大国だった。
国土面積や人口ではフランスよりはるかに下なのに、国民ひとり当たりの所得では上回っている。
国際的な金融信用度も高いので、国債を売って外国から借金もできる。
とはいうものの、国家債務は膨らみ続けて、いまでは120億ポンド。
借金で首がまわらぬようになりかけているのだ。
(続く)