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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第5章 病変と臨終   

   6.ベッドの愉悦

 ダヴトン邸を訪れてから1週間ほどして、ナポレオンは入浴中に失神する。
 駆けつけたアントンマルキに、かれは頭痛と脇腹の痛みを訴えた。
 脇腹の痛みは剃刀の刃で切られるようだという。
 アントンマルキは浣腸をほどこし、腕にいくつもの発疱膏をはりつけた。
 発疱膏というのは、皮膚を刺激して血行をうながし、痛みを緩和するためのものである。
 患者の消化器系統と胆のうに問題がある、というのがこの若い医師の見立てだった。

 1821年の元旦はわびしいものだった。
 これまでは、随員やその家族から挨拶を受け、ナポレオンの方からはお祝いに金貨その他を贈ってきた。
 しかしこの年の正月は体調があまりに悪く、 自分の部屋から出たくない。
 身づくろいすること自体がおっくうだった。
 ベルトラン夫人と子どもたちには、年始のために来るに及ばないとあらかじめ断ってある。

 「ベッドはなんと心地よいものだ! 世界中の王座とでもこの愉しい場所を交換しようと思わない」  
 と、ナポレオンはアントンマルキにいう。
 すこしでも体調の良い日には、体を動かさなければと思うらしく、つとめて散歩にでた。
 ロウ総督が以前に提案して、ナポレオンの意向も確認せずにロングウッドの隣に建築をはじめた住居を見に行ったこともある。
 結局、この新しい住居に移ることをかれは拒否した。

 悪天候で外出できぬときは、ビリヤード室に
シーソーをしつらえさせ、それに乗って運動した。
 一方の端にナポレオンが座り、他の端にモントロンが腰をおろすのだが、2人の体重が違うので、モントロンの側に重しをおく必要があった。
 それほどにナポレオンが肥満しているのだ。  
 シーソーは子どもの遊びであり、大の男たちが大まじめでやってるのを見て、ベルトラン夫人が吹き出しながらいう。  
 「きっと風刺画にされるわね!」

                続く

    シーソーの台上でナポレオンと体重が釣り合ったのはノヴェラスでした。
  このスイス人召使いは身の丈190センチの大男で、例の銀の食器にある鷲の紋章を槌で叩いてつぶす仕事を命じられた力持ちです。
  他方ナポレオンの身長はといえば、166〜168センチ程度。
  晩年のナポレオンがいかに肥満していたか、これによっても明らかです。