物語
ナポレオン
の時代
「ボナパルトは終身統領になるべきか否か」
この問題は、護民院と立法院にはかられ、圧倒的多数の議員が賛意を表明したあと、国民投票にかけられた。
その結果は賛成が約370万票、反対が約8000票。棄権が55〜60パーセント程度である。
棄権者の比率の多さが気になるが、現代人の感覚で判断するのは妥当でない。
この時代のフランス人の識字率は、男が約50パーセント、女が約30パーセントといわれる。
国民投票というのは、じつは「投票」というよりも「記入」である。
市長・町長・村長・公証人・治安判事などのまえで、帳簿にサインするかたちでおこなわれた。
「賛成」「反対」の欄に、自分の名前を記入するのだが、名前をかけない者が半分近くいる。
そのときには、係員に代筆してもらうか、自分でバツ印を書いた。
恥ずかしいと思う者もいるだろう。
お偉方のまえで、「ウイ」「ノン」を表明するのをイヤだ、と思う者もいるだろう。
そうした事情を勘案すれば、55〜60パーセントの棄権率はそれほど高くないともいえよう。
ちなみに前回の国民投票は、1799年暮れに統領制がスタートしたときに、「新しい憲法を承認するか否か」を問うためにおこなわれた。
そのときの賛成は約150万票で、今回の半分以下であるが、棄権率は80パーセントもあった。
それと比べれば、この1802年の国民投票で、フランス国民はボナパルトが終身統領になるのに好意的だった。
棄権率も相対的に低いから、積極的に投票に行ったといえる。
この結果をうけて、「共和暦十年の元老院決議」なるものが出た。
3人の統領の任期が終身になり、第一統領には後継者指名の権利があたえられる、というのが大略の内容。
以後は第一統領の正式の呼び名は「ナポレオン・ボナパルト」になった。
役職名はこれまで通りであり、「終身統領」とは呼ばれない。
(続く)