2.絶大な人気
若きボナパルトがフランスの民衆の間で人気が高かったのは、戦うたびに勝ったからである。
1796年から97年にかけて
、かれはモンテノッテやロディで勝ち、アルコレやリヴォリで勝った。
負けることはめったにない。
外国軍を破った司令官の名声があがるのは、洋の東西を問わない。
第1次大戦のときヴェルダンでドイツ軍を退けたペタン。
第2次大戦の終盤で、ヒトラーのドイツ軍を相手に「史上最大の作戦」(=「もっとも長い日」)を成功させたアイゼンハワー。
日本海作戦でロシアのバルチック艦隊を壊滅させた東郷平八郎。
ペタン、アイゼンハワー、東郷平八郎。
この3人は歴史にのこる偉業をなしとげたとき、50代から60代だった。
ボナパルトがイタリア遠征に出発したのは26歳の時で、凱旋帰国した時でも28歳にすぎない。
フランスの田舎の村では、司祭たちが日曜日に説教壇の上から、若き将軍の偉業をたたえる説教をした。
その武勲は、当時の版画の題材にしばしば取り上げられた。
ボナパルト夫妻が住んでいたのはシャントレーヌという通りだった。
現在のオペラ座からほど遠からぬ場所である。
若き将軍がパリに凱旋したあと、この通りの名前は「ラ・ヴィクトワール」(勝利)にかえられた。
(続く)