Part 2 百日天下
第1章 エルバ島
1.ポルトフェライオ
1814年5月3日、ナポレオンとその一行を乗せた英国海軍のフリゲート艦はエルバ島に接岸した。
艦がポルトフェライオ港に投錨したとき、あたりはすでに暗かったので、島の当局に「皇帝」が到着したことを通知するだけにして、上陸は翌日にくりのべられる。
ナポレオンは、退位したあとも皇帝の称号を用いる権利を、連合国によって公式に認められていた。
エルバ島の住民は、島の新しい統治者が前フランス皇帝であると知らされて驚いたが、恭順な態度で一行を出迎える。
ナポレオンとその将軍たち、少数の士官や兵士従者などは、下船のあと列をくんで町の聖堂まで歩き、テデウムの感謝式につらなった。
ミラノのドゥオーモや、パリのノートルダムでの壮麗なテデウムの記憶がちらりと脳裏をよぎったかもしれない。
しかし、ナポレオンは厳粛な表情をくずすことはない。
そのあとは町役場に移動して、島の名士や村落の代表者との顔合わせ。
エルバ島の歴史や産業について熟知する皇帝の顔を、地元の名士・代表者は目をまるくして見つめた。 じつをいえば、これはにわか仕込みの知識であり、フォンテーヌブローを出発してから、ホテルや船のなかで読んだ書物の受け売りに過ぎない。
軍事面であれ、政治面であれ、なにかをはじめるまえに情報を集めて研究するのは、ナポレオンの習慣である。
小さなエルバ島を統治することにかけても、かれはそれが大事業ででもあるかのように、真剣にとりくもうとしていた。
ポルトフェライオのあちこちに干してある漁網。
港に特有の匂い。
聖堂に行く途中で見かけたイチジクの樹。
葡萄畑に埋没する平たい屋根の白い家。
それらは、幼少期にコルシカで見慣れたものである。
デジャ・ヴュ(既視感)。
生暖かい、くつろぎを与えてくれる空気を吸いながら、44歳のナポレオンはこれから新しい生活をはじめようとしている。
(続く)