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物語
ナポレオン
の時代

      断章 帝政期    

   2.権力欲 

 権力欲という言葉には悪いニュアンスがある。
 「あなたは権力欲がある」といわれて、賞賛されたと思う者はいない。
 大きな仕事をしたいと望む者。歴史に新しい頁を加えたいと欲する者。かれらは野心家と呼ばれる。
  野心家にはきまって権力欲がある。
 なぜなら、権力なしに野心を実現できないからだ。
 人間の集まりである組織には、ほとんどつねに権力欲のつよい人間がいる。
 政党などを思い浮かべれば、すぐに思い当たるはずである。
 権力欲のつよい人間は、多くの場合、有能であり、そのことを自覚すればこそ、人の上に立ちたいと願うのである。

 バートランド・ラッセルが面白いことを書いている。
 「ナポレオンにしても、もし例のベレロフォン号が難破して、英国士官たちにボートで逃げるように命じられたとしたら、あるいはおとなしくこれに従ったかもしれない。人が権力を好むのは、問題の仕事を扱う自分の能力を信ずるかぎりのはなしで、自分が無能だと知れば、むしろ指導者に従いたいと思うものである」

 ひとこと説明すれば、ベレロフォン号とはイギリスの軍艦で、ワーテルローの戦いで破れたナポレオンは、イギリスに保護を求めようとしてこの軍艦に乗り込んだのである。
 戦場や政治の場では自信満々のかれも、海上ではなすすべを知らない。軍艦をどう動かすかも分からない。
 だから、英国士官の指示に素直に従っただろう、とラッセルはいうのである。

 行間を読んで(ラッセルに代わって)さらにいえば、ナポレオンが権力を愛したのは、権力をもちいて大きな仕事を成就する自信があったからであろう。
 しかし、権力を手に入れようとすることと、皇帝になることは、べつの話である。
 第一統領のままでも、ボナパルトには大きな権力があった。
 皇帝にならなくとも、やりたいことをほとんどできたはずである。
                                     
(続く)