Part 1 第一統領ボナパルト
第3章 コンコルダ
11.プロヴァンス伯の手紙
王党派はなぜクリスマスイブに第一統領の暗殺を企てたのか。
理由のひとつとして考えられるのは、プロヴァンス伯とボナパルトのあいだで若干の交渉があり、その内容が王党派をいたく失望させたことである。
プロヴァンス伯とはのちのルイ18世で、ルイ16世の次弟に当たる。
この人物は、兄のルイ16世が断頭台で処刑される1年半ほどまえにフランスを脱出して、イタリア、スイス、ロシアなどを長く流浪していた。
亡命中のこのプロヴァンス伯が、1800年2月、とつぜんボナパルトに手紙を送りつけてきた。
以下のような内容である。
「‥‥ロディ、カスティリオーネ、アルコーレの勝者、イタリアとエジプトの覇者が、栄光より空しい名声を選ぶはずはありますまい。
貴下は時間を空費している。
われわれはフランスに休息を保証しうるのです。
”われわれ”というのは、わたしがボナパルトを必要とし、ボナパルトもわたしなしにはその仕事をなしえぬからです。
将軍よ、ヨーロッパは貴下を注視し、栄光が貴下を待っている。」
要するに、「わたしは王としてフランスに戻りたい」といっているのだ。
「ボナパルトを臣下として厚遇する」ことをほのめかしてもいる。
読み終えた当の本人は呆然とした。
相手の思い上がりと身勝手さにあきれた。
返事をする気にもならず放り出しておくと、6月にほとんど同じ内容の手紙がまた届いた。
マレンゴの戦いの直前である。
秋になって、政権の基盤が磐石になってから、第一統領は短くそっけない返事をプロヴァンス伯に送った。
王位返還の要求を明白に拒絶する回答であり、つぎの一文を含んでいる。
「もし帰国されるなら、10万の死体を踏み越えなければならぬでしょう」
この回答は、プロヴァンス伯の側近を介して、ただちにフランス各地の王党派と国外のエミグレの知るところとなる。
現政権が続くかぎり王政復古の見込みはない、とかれらは判断した。
とすれば、統領政府を力ずくで転覆させるほかない。
その最良の策はボナパルトを倒すことだ。
国内国外の王党派はそう悟ったのである。(続く)