Part 2 百日天下
第7章 ナポリ王ミュラ
10.竜頭蛇尾
ナポレオンが密使を送ってミュラとコンタクトをとったのは、以下のような理由による。
自分がエルバ島を出てパリに戻れば、遅かれ早かれ対仏同盟国と戦うことになるだろう。
その際、イタリア半島でナポリ王が背後からオーストリアなどを牽制してくれれば、戦局をいくらか有利にもっていける。
1年まえの戦線離脱を忘れたわけでないが、ポーリーヌが間に入ってとりなしてくれてるし、ここはいちおう和解しておくことにしよう。
他方、ミュラはナポレオンの密使コロンナを喜んで迎えた。
せっぱ詰った状況に追い込まれていて、渡りに船だったのだ。
ここは義兄の運勢に賭けるほかない。
1815年3月、ナポレオンと部下たちがが南仏に上陸したという報に接するやいなや、気をたかぶらせたミュラはすぐさま行動に移る。
4万のナポリ軍を発進させ、オーストリアに向けて宣戦布告したのだ。
ナポレオンがかねて評したように、ミュラは戦略家ではない。
言い換えれば大局を見る目がない。
それにしても、この宣戦布告はあまりに幼稚だった。
ミュラにしてみれば、こんな心境だったのだろうか?
ナポレオンががパリに到達して政権の座に戻ってしまえば、自分はまたも臣下扱いされるだろう。
ナポリ王国を含めてイタリア半島全体が、フランスの支配下におかれるかもしれない。
ここはすばやく勝利をおさめて、最近自分に冷淡な義兄を見返してやりたい。
出だしは好調だった。
教皇領ローマを席巻し、抵抗らしい抵抗にもあわずにアドリア海沿岸のアンコーナに達し、3月30日にリミニに入る。
この町でミュラが住民に「イタリア統一」を呼びかけたことは、すでに述べたとおり。
当時のイタリアで祖国の統一と独立を求めていたのは、ひとにぎりの知識人、有志の将校、炭焼党員ぐらいだった。
なお「炭焼党」は秘密結社で、職業的革命家の陰謀組織であるが、この時期にはまだ広範な大衆の支持をえていない。
だからミュラが「イタリアの独立と統一」を呼びかけたのは、何十年か早すぎたといえよう。
ナポリ軍はリミニからボローニャに向かい、モデナに入り、フィレンツェを占領する。
ここまでは、いわば不意打ちの効果もあり、ミュラは勝利の美酒を味わうことができた。
(続く)