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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第3章 総督ハドソン・ロウ  

   6.確執の理由


 ひとしきり不満と怒りをはき出したあと、ナポレオンは語気をつよめてこう叫んだ。

 「だれにもわたしの称号(皇帝の称号)を奪う権利はない。500年後にもナポレオンという名前は輝いているだろう。
バサースト、カスルレー、それに貴官の名前は、わたしに恥ずべき振る舞いをしたことによって歴史に残るのだ!」  

 この日を境に、ナポレオンはロウ総督に会うことを拒むようになる。

 ふたりが仲違いの理由をあげるなら、まず総督の性格がある。
 中立の立場にいたといえる外国の監視委員ですら、そのことを認めている。

 「この人物は偏狭であり、責任の重さに困惑し、心配でたまらず、わずかのことを不安がり、つまらぬことに気を遣い、他の人なら造作なくすますことを大騒ぎしながらやる。
  それに加えてすぐカッとなる欠点をもつ。腹を立てると、自分がなにをいってるのか、どこにいるかもわからず、正気を失ってしまう。
 ことあるごとにナポレオンを苦しめ、いちいち反対して、どうでもいいことにも文句をつけ、ついには激高させてしまうのだ」

 こう評したのは、ロシアの委員バルマン伯爵である。

 とはいえ、両者の関係悪化の原因をすべてロウ総督に帰するのも公平ではない。
 気性がはげしく、プライドの高い流刑囚との関係を良好に保つのは、どんな監視責任者にとっても容易でない。
 しかもナポレオンの側には、機会あるごとに監視責任者を挑発する意図があったように思われる。
 マルコム提督が両者を和解させようと努力したこともあったのだが、ナポレオンはその労に報いようとしなかった。

 最後の会見でロウに浴びせた言葉にうかがえるように、ナポレオンの念頭には歴史の法廷があった。
 「500年後の人間はどう見るか?」  
 それをしばしば考えていたようである。
 獄吏に従順な囚人としてでなく、悲運に呻吟する英雄のイメージを後世に残したいのである。
 ロウ総督へのかたくなな対決姿勢の何分の一かは、それゆえに生じたと考えられる。
                                                     (続く

 バサーストは当時イギリスの国防大臣で、植民地担当大臣を兼務してました。
 ハドソン・ロウの直接の上司であり、ナポレオン拘置の最高責任者もあります。
 カスルレーはイギリスの外務大臣で、終わったばかりのウィーン会議ではイギリスを代表しました。
 いってみれば、メッテルニヒと並ぶ反ナポレオン陣営の中心的存在でした。