新政府のまえに立ちはだかる難問は山ほどあった。
とくに財政の建て直し。
財政の赤字は昔からこの国の持病である。
フランス革命が起きた理由のひとつ(それも大きなひとつ)は、国家財政の破綻だった。
その革命から10年たったというのに、インフレ状態がいまも続いており、国のかかえる借金はいっこうに減っていない。
ボナパルトは財政問題では素人であり、平均的な知識しか持たない。
インフレを抑え込む。国債を発行しない。税収をふやす。この3つの方針を税務大臣ゴーダンに伝え、それを実行させた。 そして、強いリーダーシップを発揮して、つねに税務大臣を全面的にサポートした。
徴税のやりかたがまず改められる。
当時のフランスでは、その仕事のために選挙された者が税金を集めていた。
アマチュアがパートで仕事をしているようなもの。
ゴーダンはそれに代えて、収入係や収税官などの専門職をおいた。
徴税のためのピラミッド型の職階制をつくったのだ。
納税をスピードアップさせるために、最初に完納した県の名前をパリのしかるべき広場につける、と第一統領は約束した。
一番乗りは、ヴォージュ県だった。
マレ地区にあるロワイヤル広場が、この1800年から、「ヴォージュ広場」と呼ばれるようになる。
(続く)