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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第6章 死因   

  6.毒殺説(5)  反論

 ワイダーはフォシュフーヴドとの共著のかたちで、1978年にバンクーバーの書店からナポレオンが砒素で毒殺されたことを主張する書物を刊行した。
 ついでアメリカのジャーナリスト、ハップグッドの協力を得て,1982年にロンドンの出版社から同じ内容の本を出す(こちらの方は『ナポレオンは毒殺された 没後160年初めて明らかにされた新事実』という題で、1983年に中央公論社から邦訳が刊行された)。

 両書の内容に疑義をさしはさむ論文が2本、イギリスの科学雑誌『ネーチャー』に1982年に掲載された。
 
 第1の論文は、犯罪の有無についてのもの。
 ナポレオンの時代に砒素は薬・化粧品・塗料などとして日常的に広く使われていた。
 また壁紙の塗料にも砒素は含まれており、それが気化して中毒を引き起こした可能姓はある。
 ただし、ナポレオンの居室の壁紙をじっさいに分析したところ、中毒は起こすけれども人が死ぬほどの量じゃ検出されなかった。
 要するに、中毒はあったかもしれないが、意図的なものであったとは考えられないという意見。

 第2の論文は、ナポレオンの髪の毛に含まれていたのは砒素でなく、アンチモンであろうと指摘するもの。
 頭髪に原子炉内で中性子を当てて放射能をおびさせ、そこから出る放射線を分析したところ、砒素の量はあまり多くなく、むしろ高い濃度のアンチモンが検出された。
 ハミルトン・スミス教授が頭髪の分析をしたのは、1950年代後半から1960年代の初めで、当時の技術ではアンチモンと砒素を十分に区別できなかったはず。
 アンチモンは
吐酒石にも含まれており、ナポレオンは吐剤として吐酒石をいくども服用した。
 砒素中毒とアンチモン中毒は症状が似ているが、ナポレオンは後者であった可能性が高い、というのがこの論文の結論である。
        (続く

    「吐酒石」とは耳慣れない言葉ですが、学問的には「酒石酸アンチモニルカリウム」というのだそうです。
   「アンチモンの塩」とも呼ぶようです。
   吐酒石はこの時代に吐剤・去痰剤として使われていたようですが、いろいろ副作用があるために、現在
   ではほとんと用いられていません。