Part 2 百日天下
第7章 ナポリ王ミュラ
8.謀反
フランス皇帝とナポリ王の関係は、以前から円滑なものでなかった。
それがロシア遠征以後は目に見えて悪化する。
ミュラが手紙を送っても、しばしば無視されるようになった。
王妃カロリーヌは「兄の勢いは落ち目になってます。いまのうちにどこかと同盟しておくほうがよいでしょう」と、いいはじめた。
「どこか」がオーストリアあるいはイギリスであるのは暗黙の了解事項である。
それにしても、この女性の冷徹さには驚かされる。
ナポリ王国と自分たちの保身のためには、兄に背くこともやむをえないと計算しているのだ。
ミュラはなかなか決断ができず、中途半端な気持ちでドレスデンの戦い(1813年)やライプチヒの会戦に出陣している。
義弟から声がかかれば、気が進まなくとも戦場にはせ参じているのだ。
ナポレオンはドレスデンでは勝ったが、ライプチヒの戦いに敗れ、ライン川まで退却せざるをえなかった。
ミュラはかろうじてナポリに逃げ帰る。
この頃にようやく腹をくくったようである。
オーストリアと同盟を締結したのは、その3ヵ月後の1814年1月。
オーストリアが出した条件ははっきりしている。
対仏同盟国がフランスと戦うときに、ナポリ王国が同盟国側につくならば、現体制のまま存続するのを保証するというのである。
ミュラはこの条件をのんだ。
オーストリアはいうまでもなく対仏同盟のメンバーであり、この国がフランスと戦うときにナポリ王国はオーストリア側につくと約束したのだ。
これを知ったナポレオンは叫んだ。
「ナポリ王の行動は卑しむべきものだ! 王妃の行動も名づけようがない!」
二人が現在の地位にあるのはだれのおかげだ。
その恩を忘れたのか、といいたいのだ。
なおナポレオンがわざわざ妹カロリーヌに言及しているのは、蔭で糸を引いているのがだれかを見抜いていたからだろう。
(続く)