Part 1 第一統領ボナパルト
3.アミアンの和約の破棄
タレーランはかねてイギリスびいきであり、第一統領にマルタ島
の件ではもっと柔軟な姿勢をとるべきですと、と進言していた。
ジョゼフ・ボナパルトも、自らこの条約に調印したいきさつもあ
り、タレーランに同調して弟をなだめようとした。
外務大臣や兄の顔を立てようとしたのか、5月になってボナパル
トはある妥協案を口にする。
期間限定でロシアにマルタ島を管理させてはどうか、というもの。
それに対して、イギリスは木で鼻をくくったような返事をした。
もはや話し合いを続ける気などないのだ。
5月16日、交渉は決裂する。
イギリスの港に停泊中のすべてのフランス船は拿捕された。
他方、フランスに居住する18歳から60歳までのイギリス人
は、敵国人として逮捕される。
さらに、フランス軍がハノーバーを占拠した。
英仏両国は交戦状態に逆戻りしたのである。
戦争はこの両国だけでなく、しだいにヨーロッパ大陸全体に拡大
し、オーストリア、プロイセン、ロシア、スウェーデン、さらには
スペイン、ポルトガルにまで広がっていく。
アミアンの和約の破棄は、ヨーロッパ全体に深刻な結果を引き起こし
たのだ。
その責任は英仏どちらにあるのか?
アミアン条約をホゴにしようとしてサボタージュしたのはイギリ
スの方である。
ボナパルトはそれに激しく抗議した。
が、腹のなかでは、アミアン条約が長く続くはずはないと思って
いたふしがある。
対外関係が緊張するのは悪いことばかりでない。
自分の求心力が高まるからである。
このところリベラルな中産階級の間では、「第一統領の権力が強
くなりすぎている」という声がでているらしい。
戦争になれば、そして勝利をものにすれば、自分の威光が増大して政
権の基盤も堅固になるだろう。
マレンゴの戦いのあとのように。
ボナパルトはそう考えて、イギリスとの交渉決裂を冷静に受けとめて
いた。
(続く)