本文へスキップ

物語
ナポレオン
の時代

    Part 1  第一統領ボナパルト

   
 第8章 戴冠式 

   5.即位のセレモニー 

 
皇帝になるからには、即位の儀式が必要である。
 どこで、どのようなかたちで儀式をあげるのか?
 大臣や側近たちの共和主義者は、シャン・ド・マルスで式典がおこなうべきでしょう、と進言した。
 シャン・ド・マルスは以前練兵場だった広大な敷地で、革命後に「連盟祭」などさまざまな祝典がここで催されてきた。
 「フランス革命の子」と呼ばれたナポレオンだが、この案にはまったく関心を示さない。
 ローマ教皇をパリに招いてノートルダム大聖堂で即位の式典をあげるーーというのが強い願望なのだ。
 式典は成聖式と戴冠式で構成されるだろう。
 成聖式(聖別式ともいう)は君主を神聖な存在に高める儀式であり、具体的には聖職者によって額や手に塗油してもらうこと。
 ローマ教皇による成聖式をおこなうことで、シャルルマーニュ大帝の伝統につながる者になる。
 ヨーロッパのすべてのカトリック信者の認める皇帝になるのだ。
 その政治的効果は大きい。
 ナポレオンはそう判断していた。

 ローマ全権公使である叔父フェーシュ枢機卿と在パリのカプラーラ枢機卿を介して、教皇への働きかけがなされる。
 ピウス7世は、若干の留保をつけたうえで応諾した。
 留保というのは、フランス国内における「信教の自由」の件と、帝冠の授受の形式(これについては後述する)を指している。
 これらの問題の調整に当たったのは外務大臣のタレーランだった。
 コンコルダ締結以後のこの2年、第一統領がローマ教会のためにいかに大きな貢献をしてきたか。
 それをタレーランは詳細に説明した。
 結局、ヴァチカンが譲歩するかたちで、問題は決着する。
 教皇ピウス7世は1804年11月にローマを発ち、パリに向かった。
                                        (続く