物語
ナポレオン
の時代
ロングウッドの年間経費が1万2千ポンドに減らされたことは、それが妥当かどうかはさておき、そで暮らす者にしてみれば、「生活をきりつめよ」と命じられことになる。
不機嫌になったナポレオンは、従来どおりの生活を維持するために銀器を処分するといいだした。
ふだんの食事に必要な食器は別として、それ以外の銀の大皿小皿などを島で売りに出すという。
皿には鷲の紋章がついているが、それを槌でたたいてつぶす作業は召使いたちがおこなった。
銀器は10月15日、11月15日、12月30日の3回に分けて売却された。
計量されて値がつけられたが、ぜんぶ合わせて230キロ。
パリから運ばれてきたことを考えれば、相当の重さである。
代金はしめて1065ポンド(約2千7百万円)になった。
これらの銀器は昨年の6月にエリゼ宮から退去するとき、フーシェの了承を得たうえで持ち出したものである。
いざという時のために備えたのであろうが、ナポレオンの周到さには舌をまく。
この売却金は、その一部が島から追放されたばかりの4名の手当にまわされ、残りは日常のこまごまとして支払いに当てられた。
1065ポンドというのはロングウッドでは一ヶ月分の費用に過ぎず、たちまちなくなってしまう。
しかし銀器処分「事件」が作り出した心理的波紋は大きかった。
ナポレオンはそれを予測していたと思われる。
ジェームズタウンに定期的に買い出しに行くチプリアーニは、顔見知りから「皇帝はお元気か?」と問われると、聞こえよがしに答えた。
「銀器を売って食いつないでおられるけれども、いたってお元気だ」
銀器の目方を計るところを目撃した者の口からも、同じ噂はひろまる。
本国に戻ったイギリスの海軍士官たちも、あちこちでこのニュースを話の種にした。
やがて「事件」のてんまつは政府首脳の耳にまで達した。
年間経費を1万2千ポンドにするというロウ総督の提案が、あっさりとバサースト大臣の追認を受けたのは、おそらくこれと無関係ではない。
(次章に続く)