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物語
ナポレオン
の時代

    Part 1  第一統領ボナパルト

   
 第8章 戴冠式 

   10.自分の手で戴冠する 

 式典は正午にはじまる。
 式次第は、ポルタリスとベルニエ神父によって、事前に綿密に吟味されていた。
 はじめに、帝政の是非をとう国民投票の結果が厳粛に告げられる。
 そのあとは成聖式。
 ナポレオンとジョゼフィーヌが玉座からおりて、ピウス7世のまえに行ってひざまずき、額と両手に3度塗油をうける。
 これにより、皇帝と皇后の人格が神聖化された。

 いよいよ戴冠式である。
 ナポレオンは祭壇にあがると、シャルルマーニュ大帝のものとされる帝冠をとり、みずからの頭上に載せた。
 ことの意外さに、列席者のあいだに低いどよめきが走る。 
 しかし、これは予定の行動だった。

 冠の授受をいかにおこなうかは、フランス政府とヴァチカンが長い時間をかけて議論してきた。
 教皇庁は「過去に成聖式をとりおこなった聖職者は、かならず冠を授けている」と慣例をひきあいに出した。
 「それに、ピウス7世は遠路パリまで赴くのである」とつけくわえて、外交的配慮を求めた。
 ナポレオンはそれに対して「自分は神によってでなく、国民の意思によって皇帝になるのだ。教皇の手で冠をかぶせてもらうのは妥当でない」と反駁する。
 しかも、断固として譲ろうとしない。
 コンコルダのときと同じように、折れたのは教皇側であったが、決着したのは、ピウス7世がパリに着いてからだった。

 というわけで、ナポレオンがみずからの手で冠をかぶったのは、とっさの思いつきではない。
 かれはそのあと振り向いて、壇の下にひざまずくジョゼフィーヌに、皇后の冠をのせた。
 画家ダヴィッドが描いたのは、この瞬間である。
 この大きな油絵は、わが国ではふつう「ナポレオンの戴冠式」と呼ばれている。
 正確な題は「1804年12月2日のパリ・ノ−トルダム大聖堂における皇帝ナポレオン1世の成聖式と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」というものであった。
                       (続く)

 
 
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