Part 1 第一統領ボナパルト
第8章 戴冠式
11.皇帝としての誓い
式典の最後は、皇帝の誓いである。
最後ではあるが、「つけたし」ではなく、重要なものである。
皇帝の宣誓によって式典の前半が終わり、そのあと後半に移る。
そのことを暗示するかのように、ピウス7世はすでに退場していた。
ナポレオンは沈着な態度で、政府高官や選挙人会の代表に向かって、つぎのことをおごそかに誓う。
「国土の保全。コンコルダの遵守。国民の政治的自由と権利の平等を尊重すること。法律による以外はいかなる租税も徴収しないこと。国有財産の売却については、これを撤回しないこと」等々。
35歳の新皇帝の声ははっきりと聞き取れた。
「国有財産の売却の不撤回性」は、多くのフランス人にとって切実な関心事だった。
というのも、革命のあとで国有財産の土地・建物を取得した者は相当数にのぼるからだ。
5時間に及ぶ厳粛な儀式をすべて終えたあと、皇帝と皇后は大司教館に戻って着替え、そのあと馬車をつらねて帰途についた。
往路とはべつの、サン・マルタン大通り、グラン・ブールヴァールなど、パリの北側を迂回して戻るのである。
12月のパリの日没は早く、あたりはすでに暗い。 馬車が通るコースは、おびただしい数のたいまつで照らされていた。
用意されたたいまつは2万本といわれる。
寒空の下で一行が現れるのを待ち受けていた群集は、馬車の行列を目にすると、口々に感嘆と歓呼の声をあげた。
ナポレオンとジョゼフィーヌがチュイルリー宮殿に帰着したのは6時半ごろ。
この日から2週間、パリ市による祝賀会、立法議会による祝賀会、元帥たちによる祝賀会など、華やかな祝典が続いた。
1804年の暮れから翌年にかけて、いわば戴冠式効果というべき経済的活気がみられ、人びとはようやく革命が過去のものになったのを知ったのである。
(続く)