断章 帝政期
7.スペインへの介入 ー終わりの始まり
1807年、ジュノ将軍ひきいるフランス軍はポルトガルに侵攻した。
ポルトガルが大陸封鎖令を守らなかったのを罰する、というのが理由である。
フランス軍は、11月にリスボンを制圧したのだが、そのままイベリア半島に駐屯し続けた。じつは、スペイン王室に内輪もめがあるのを知ったナポレオンが、居すわりを命じたのである。
国王カルロス4世には威厳も実権もなく、王妃マリア・ルイーザは宰相ゴドイの愛人である。
カルロス4世の長男フェルナンドは野心家であり、父親から王位を奪う機会を狙っている。
王室全体が退廃しているのだ。
ナポレオンはそこにつけこみ、スペインを乗っ取ろうと企て、機会を窺っていた。
はたせるかな、1808年3月マドリッド郊外アランフェス離宮で謀叛がおきる。
カルロス4世は退位し、フェルナンドが王位をついだ。
ナポレオンはただちにミュラを皇帝名代としてスペインに送り込み、王位継承に待ったをかける。
その一方で、カルロスやフェルナンドをフランス西南部の町バイヨンヌに呼びつけ、マドリッドで起きた暴動の責任を追及した。
責任を追及したあとで、両者から王位を剥奪した。
その王位につけたのが、兄のジョゼフである。
スペイン国民は怒った。
自国の王位のフランス皇帝による私物化にはげしく反撥した。
各地の民衆が立ち上がり、ゲリラ活動(当時この言葉はないが)をはじめる。
この機を逃さず、イギリスが軍隊をスペインに派遣してきた。
フランス革命以後イギリス陸軍がフランスと直接戦うのは、じつはこれがはじめてである。
ゲリラとイギリス軍を相手に、これまでは無敵だったフランス軍が苦戦した。
ほとほと手を焼いたといってもよい。
イギリス軍を指揮していたのは、ウェルズリー将軍(のちのウェリントン公爵)。
英仏両軍の攻防は一進一退で、戦況は泥沼化する。
ナポレオンは「あのスペインの潰瘍」と、後になって苦々しげに呟くだろう。
(続く)