第3章 コンコルダ
5.スタール夫人
200年まえのフランスでは、政治は男のものだった。
女性の出る幕はあまりない。
革命の直後こそ、ロラン夫人など少数の女性が活躍したが、例外中の例外というべきもの。
そこでスタール夫人は、これはと思う男性のブレーンないしアドバイザーになり、間接的に政治にかかわろうとした。
これまでも多くの政治家とつきあってきた。最近ではバンジャマン・コンスタンという才能あるスイス人に力を貸して、護民院の議員になれるようはからった。
4年まえにボナパルト将軍がイタリア各地でオーストリア軍を撃破していたころ、かの女は早くもこの軍人の優秀さに着目し、ファンレターを書き送った。セレブである自分から手紙をもらえば、よろこんで返事をよこすだろう、と思っていた。
いくら待っても、こない。
ボナパルトがパリに凱旋し、歓迎の大宴会が催されたとき、スタール夫人は勢い込んで出席し、自分から若き将軍に近寄って声をかけた。反応は氷のようにひややかである。
ひるむことなく、日をかえ場所をかえアプローチを続け、そのたびにすげなくあしらわれる。
このときスタール夫人は30歳、そしてボナパルトは27歳である。
かの女の考える理想の政治体制は、立憲君主制。 この軍人はいずれ政界でも重きをなすだろう、と見込んでいる(さすがに人を見る目は鋭い)。
自分が助言すれば、そして聞き入れられるなら、フランスは正しい方向に向かうはずである。
ところが、ボナパルトは夫人の話にまったく興味を示さない。
政治的意見が違うというよりも、虫がすかないのだ。 (続く)
ふたりの微妙な関係について、両角良彦『反ナポレオン考 ー時代と人間ー』(朝日選書、1998年』は、こう説明しています。
「(スタール)女史にすれば相手への思い入れが激しかっただけに、袖にされたことへの怨みも深く、憧れは憎しみに変わり、偏執的とも思えるほどボナパルトへの反抗にのめりこむ」
これはうがちすぎの見方ではありません。ナポレオンとスタール夫人の関係は、このときもそれ以後も、「反目」とか「侮蔑」とかの言葉では形容できない複雑なものでした。