物語
ナポレオン
の時代
6月12日早朝、ナポレオンはパリを発ってベルギー国境へ向かう。
フランス北部の各地から集結する軍を待つために、この日は140キロほどしか前進しなかった。
皇帝の乗る馬車を見ようとして、沿道には住民たちが立ち並んでいる。
かれらは『モニトゥール』紙によって、ナポレオンとその軍隊がこの日自分たちの町を通過するのを知らされていた。
全軍の合流場所ボーモンの森に着いたのは、6月15日である。
ドルエ・デルロン伯爵が率いる第1軍団とレイユ伯爵が率いる第2軍団が左翼。
皇帝の指揮する主力が中央。
ジェラール伯爵の第4軍団が右翼。
この態勢で、フランス軍は時をおかずにプロイセン軍を攻撃した。
不意を襲われたツイーテン将軍は狼狽し、部隊をシャルルロワから撤退させるほかない。
じつはこのとき、フランス軍右翼の第4軍団に混乱が生じていた。
戦端がひらかれる直前に、師団長ブールモンが幕僚数名とプロイセン軍に投降したのだ。
この寝返りに腹をたてた兵士たちは「またお偉方の裏切りか!」と口々に叫ぶ。
かれらは昨年春に皇帝が退位に追い込まれたのは、側近の元帥どもに裏切られたためだと信じている。
ブールモン将軍は、ブザンソンの第6師団でネー元帥の部下だった。
元はヴァンデの乱の指導者のひとり、つまりは王党派の軍人で、以後もアンチ共和主義者的なそぶりを見せていた。
にもかかわらず、ジェラール将軍の熱心な推挽もあり、ナポレオンはこの信用できぬ男を師団長にしたのだ。
ブールモン将軍がいなくなったことで乱れた指揮系統を立て直すのに、第4軍団は貴重な時間を空費してしまった。
「貴重な時間」というのは、この戦いは迅速に勝つことにすべてがかかってるからだ。
プロイセン軍とイギリス軍が合体するまえに、すばやく一方を撃破しなければならない。
(続く)