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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第6章 死因   

  5.毒殺説(4)容疑者

 「ナポレオンに5年間も,休止期間を挟みながら、砒素を盛り続けることができたのは、消去法で絞っていくとマルシャンかモントロンということになりますから‥‥」
 フォシュフーヴドは、パイプをふりつつワイダーの前を行ったり来たりして、こう断言した。
 「この2人のどちらかが犯人です」  

 マルシャンは20歳のときにチュイルリー宮殿で働きはじめ、ナポレオンのエルバ島行きにも従った。
 百日天下のときにもそばを離れることはなかった。
 主君に忠実なこの若者がセント・ヘレナ島に行ったのは、不思議でもなんでもない。
 モントロンに関してはそういえない 。
 アルビーヌと離婚したことで職を追われたこの貴族は、ナポレオンに恨みを抱く理由はあっても、恩誼を感じるいわれはない。
 それなのに、ワーテルローの戦いのあとで不意にエリゼ宮に姿を見せ、主君と都落ちするグループにもぐりこみ、いつのまにかベレロフォン号に乗船していた。

 この32歳の貴族が、なぜ絶海の孤島に渡る気になったのか?
 モントロンはもともとブルボン王家とのつながりが深い。
 義父であるセモンヴィル侯爵はアルトワ伯と親密だったし、義父を介してナポレオンを殺害するようにひそかに命じられたのだろう。  
 もちろん、報酬あるいはその後のしかるべき処遇は約束されていたに違いない。
 他方、その命令を拒むなら、過去に部隊の経理問題で不正をはたらき、部下の給料を横領した事件を白日の下にさらす、と脅かされたのかも知れない。
 モントロンは砒素を自分の管理する葡萄酒に入れて飲ませていた可能姓が高い。

 フォシュフーヴドが語り終えると、ベン・ワイダーはこう提案した。
 「これはナポレオン研究者の内輪の世界だけでなく、広く世間一般に知らせるべきことです」

                                       (続く

 ロングウッドで消費される食料と飲み物は、モントロンとチプリアーニによって購入され、管理されていました。
 葡萄酒をしまっておく酒蔵のキーを所持していたのは、モントロン。
 しかも、ナポレオンの飲む(そして他の人間はふつう飲まない)ワインの銘柄も決まってました。
 そのワインはケープタウンから樽でとりよせ、そのあと瓶に詰め直しましたが、その際にモントロンが砒素を入れるのは容易であったろう、とフォシュフーヴドは推理しています