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物語
ナポレオン
の時代

       Part 2  百日天下

   
第11章 ワーテルロー(下) 

   8.臆病から蛮勇へ

 「ネーは自分を見失っていた」と、ナポレオンは後になって評した。
 いつもとは違っていた、といいたいのだろう。

 剛勇で知られたネー元帥は、6月16日の「カトル・ブラの戦い」でなぜか弱気になって攻撃に出ず、あたら勝機を逸した。
 若いときに無鉄砲だった男が、年をとって臆病になるのはよくあることだ。
 その日の失態を自覚して名誉を挽回したいと思ったのか、ネーはワーテルローの戦いで極端なまでにアグレッシブだった。
 強引すぎる突撃をくりかえし、いたずらに自軍兵力を消耗させた。

 とくにモン・サンジャンの高台を守備していた敵の歩兵部隊を騎兵隊だけで攻撃したのは、戦術の基本に反することだった。
 馬は、銃剣を突きつける方陣のまえに行くと、怯えて立ち止まるか横を駆け抜けてしまうのだ。
 騎兵隊の指揮官がグルーシーであれば、このように無謀な攻撃をしかけることはなかったであろう。
 「もし」をくりかえすなら、ナポリ王ミュラがその場にいたら、騎兵隊をもっと巧みに活用できたかもしれない。

 モン・サンジャンの高地をめぐる死闘で、フランス軍が最後に切ったたカードは近衛部隊である。
 ところが肝心かなめのときに、近衛部隊指揮官モルチエ元帥の姿はなかった。
 座骨神経痛を悪化させて、会戦直前に戦場を去ってしまってる。
 ナポレオン はその後任を見つけられなかった。
 指揮官クラスの優秀な上級士官が払底していたのだ。
 みずから近衛隊の先頭に立てばよいと考えていたらしいが、結局は「自分を見失った」ネーにまかせきりにした。

 ネーはもともと情緒あるいは気分の揺れが大きい。
 臆病と見えるほどぐずぐずしてるかと思うと、つぎの瞬間には無分別な蛮勇をふるう。
 カトル・ブラやワーテルローの戦いのネー元帥の指揮ぶりには、どう見ても冷静沈着のかけらもなかった。
                                                              (続く