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物語
ナポレオン
の時代

       Part 2  百日天下

   
第13章 亡命 

   8.テミストクレスのように

 マルメゾンから同行したベケール将軍は、いつでも出港できる2隻のフリゲート艦にとりあえず移るべきだと主張する。
 じつは臨時政府(すなわちフーシェ)から、「できるだけ早くナポレオンをフリゲート艦に乗せてしまえ」という訓令を、将軍は受け取ったばかりだった。
 ベケールの言葉に従って、ナポレオンはラサール号に側近と乗り込むことにする。
 他の随員とその家族はもう1隻のラメデューズ号に乗船した。
 これが7月8日であり、ロシュフォールに到着して5日後のことである。

 この日パリではルイ18世の新政府が成立して、フーシェはまたもや警察大臣になった。
 首相はタレーラン。
 臨時政府の委員たちは、その前日議会に辞表を出していた。
 パリにおける事態のそうした急速な展開を、ナポレオンはまったく知らない。
 つんぼ桟敷におかれていたのだ。

 7月10日、ナポレオンは英語に堪能なラス・カーズとロヴィゴ公爵を英艦ベレロフォン号にやり、通行免状がどうなっているかを尋ねさせた。
 ベレロフォン号の艦長メイトランドは、本国政府から詳しい指示を受けており、自分のおかれている状況を完全に把握している。
 だからラス・カーズとロヴィゴを愛想よくかつ慎重に出迎え、食事を供してなごやかに応接した。
 ラサール号に戻ったふたりは、イギリス人艦長の態度がきわめて友好的であったと伝えたのはもちろんである。

 報告を受けたナポレオンは、数日後にイギリスの摂政皇太子宛に書簡をしたためた。
 英国王ジョージ3世は高齢なうえに病気であり、数年まえから皇太子(のちのジョージ4世)が摂政になっている。

 「摂政殿下。
 わが国を分断する諸党派とヨーロッパ列強の反感の的であるわたしは、もはや政治生命を断たれております。
 わたしはテミストクレスのように、イギリス国民のふところに安らぎを求めにまいります。
 わたしは、敵のなかで最も強く毅然として寛容な敵としての殿下に、貴国の法律の保護を求めます

 ナポレオンはアメリカに行く計画をいつのまにか放棄し、イギリスに亡命しようという気持ちになっていたのである。
 (続く