Part 1 第一統領ボナパルト
第5章 陰謀
9.ヴァンセンヌの城館
チュイルリー宮での会議から数日後。
エッテンハイムの自宅で就寝中のアンギャン公が逮捕された。
まずフランス領内のストラスブールに連行され、そこからパリに移送された。
パリに着いたのは3月20日午後で、公を乗せた馬車は市内を2周した(その理由は不明である)あと、ヴァンセンヌの森に向かった。
ここには10年ほど前まで監獄として使われていた城館がある。
500キロの馬車での長旅に疲れ果てたアンギャン公は、軽食をとるとすぐベッドに横になった。
しかし深夜に起こされ、城館内での軍法会議に呼び出される。
この軍法会議の議長いわば裁判長は、ユラン准将。
1789年のバスチーユ攻撃・占拠のときに指揮をとって有名になった軍人である。
軍法会議の告発理由はフランスに向かって武器をとったこと。ならびに、イギリスに通牒したこと。
このふたつによってアンギャン公は有罪であるというものだった。
公は、自分が祖国に向かって武器をとったことはなく、第一統領についてのいかなる陰謀にも加担したことはないと反駁した。
ただし、イギリスから月に350ギニーの援助を受けていることと、逮捕時に押収された手紙の下書きは自分が書いたものであることを認めた。
手紙というのは、公の父親ブルボン公に宛てたもので「ボナパルトを倒すのはもっとも大切な仕事で、それが自分の希望あるいは空想である」といった意味のことが書かれていた。
この返答を聞いた軍法会議の7名の判士は、全員一致で公を有罪と認め、死刑の判決をくだした。
アンギャン公はあまりに無頓着であった。
移送の途中も、ヴァンセンヌに着いてからも、逃げようと思えばその機会がなくもなかったのだが、逃亡を試みる気がなかった。
無警戒だったのである。
身に覚えがないからであろう。最近のパリの不穏な動きや緊張した空気を知らなかったせいもある。
現在と違って、助言してくれる弁護士などはもちろんいなかった。
(続く)