物語
ナポレオン
の時代
カナダのナポレオン協会会長であるベン・ワイダーは、モントリオールの実業家だった。
ワイダーがナポレオン毒殺説を知ったのは、医者の友人が送ってくれた雑誌の記事によってである。
実業家は一読して膝を打つ。
以前からナポレオンの死因に漠然と疑いを抱いていたかれは、記事を読んで「そういうことだったのか!」と、納得したのだ。
ベン・ワイダーはすぐにフォシュフーヴドという名のスウェーデン人に手紙を書く。
ふたりの間に文通がはじまった。
たがいに多忙で、遠く離れた場所に暮らす両者が、じっさいに顔を合わせたのは、ほぼ10年後のことである。
会った場所はイタリアのロディ。
ナポレオンの名高い戦勝の地である。
この会見でワイダーはこういった。
「砒素による毒殺というご意見には完全に同意しますが、犯人はだれなのです?」
イエーテボリーの歯科医の答えは以下のようなものだった。
第1に、 ロングウッドに居住しなかった人間(すべてのイギリス人、ベルトラン夫妻など)は、まず除外される。
第2に、早い時期に離島した者(ラス・カーズ、グルゴー、オマーラ医師、モントロン夫人など)も、犯人ではありえない。
というのも、ナポレオンの体内に砒素が取り込まれたのは、1816年のある時期から死の直前までの約5年、とフォシュフーヴドは確信しているからである。
1818年に死亡したチプリアーニや1819年に来島したアントンマルキ医師も、同じ理由で下手人ではない。
料理人は召使いはどうか?
たしかにピエロンは料理をしたが,給仕をするのは従僕たちであり、どの部分をナポレオンが食べるかまではわからない。
従僕はマルシャン、アリ(サン・ドニ)、ノヴェラスの3人であるが、アリもノヴェラスも嫌疑をかけるほどひんぱんに給仕をしていたわけでない。
とすれば‥‥?
(続く)
砒素を一度に大量に摂取すれば、胃の激痛、嘔吐、これら様の下痢などが起きて、数時間で死亡します。
しかし、犯人は自然死に見せかけるために、ナポレオンに少量の砒素を長期間にわたってあたえた、というのがフォシュフーヴドの見方です。
このようなことができるのは、身近に暮らす人間、すなわちロングウッドの居住者ということになります。