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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第5章 病変と臨終   

   8.遺言書の作成

 それから間もなく、ナポレオンはモントロン将軍に「遺言の準備をしておかねばならない」と告げた。
 以前であれば、このようなことを最初に打ち明ける相手はベルトラン将軍だった。
 それがいつのころからかモントロンに代わってる。
 巧妙に取り入って気に入られたのだ。
 ナポレオンは、この部下が金目当てであるのを見抜いていたが、それでかまわないと考えていた。
 自分に尽くしてくれればいいのだ。

 4月13日、遺書の作成がはじまる。
 モントロンに命じて寝室のドアに差し錠をかけさせ、ベッドに身を起こして枕によりかかり、口述をはじめた。
 ときおり吐き気を覚えながらも、それを抑えて2時間ほど努力する。
 翌・14日、前日書き取らせたものを読み上げさせ、一条一条、修正や加筆を命じた。
 つぎの日、ナポレオンはベッドにすわり、モントロンの書いた数頁の文書を、厚紙をボードにして自分の手で書き写す。
 乏しくなった体力をふりしぼるように、ペンをインクに浸して、一枚一枚清書した。
 この作業で疲労困憊したのだろう、夜になって嘔吐しおただしく発汗した。

 ところで新しく主治医になったアーノット医師は、ナポレオンの病状をどのように診断していたのか?
 ヒポコンデリー(心気症)すなわち心理的なもの、という報告をロウ総督にしている。
 ロウは、囚人が病死すれば責任を問われかねないので、アーノットのこの診断に大いに満足した。

 ナポレオンは吐き気や腹部の痛みに苦しみながらも、小康状態のときは愛読書を朗読させてじっと聞いている。
  ホメロスの『イリアス』やマルボローの戦記などである。
 「ホメロスは戦いの前夜の描き方がうまい」などとコメントすることもあった。

 かと思えば、遺言で名前をあげるのを忘れた人間がいないかと心配して、
マルシャンにいくども確かめている。   なお、遺言執行人に指名されたのは、ベルトラン、モントロン、マルシャンの3名だった。
 そのことをナポレオンから直接知らされたマルシャンは、光栄に思い感激している。
                                                   (続く

 マルシャンは、母親もローマ王の乳母でしたから、親子二代でナポレオンに仕えたことになります。
 中産階級に生まれ、教育があり、頭も良く、控えめで堅実な性格の持ち主でした。
 「従僕の目に偉人なし」という諺がありますが、このナポレオンの第一従僕の場合には当てはまりません。
 主人を心底から尊敬していたからです。
 ナポレオンにもそれは通じていて、最期までこの召使いの将来を気にかけ、遺言のなかで結婚相手の女性の心配までしているくらいです。