無上甚深微妙法 むじょうじんじんみみょうほう
百千萬劫難遭遇 ひゃくせんまんごうなんそうぐ
我今見聞得受持 がこんけんもんとくじゅち
願解如来真実義 がんげにょらいしんじつぎ
[ 読み下し文 ]
無上甚深微妙 の法は
百千萬劫 にも遭 い遇うこと難し
我今見聞 し受持 することを得たり
願わくば如来の真実義を解 し奉らん 写真の説明を記入します
[ 訳 ]
この上なく深く素晴らしい仏教の教えは、
(にもかかわらず)私は今その教えを見聞きし、受け
どうか仏の説かれた真実の教えの内容を理解できますように。
説明
ここまでの「序分」の偈文で、しっかり身心を整え、ここからは「
いわば“本文”ですね。
この「開経偈」は、その名の通り“お経を開いて読み始める偈文”です。
まず初めの“無上甚深
無上=この上なく 甚深=甚だ深く 微妙=(想像もできないほど)
“この上なく深くすばらしい仏教の教え”ですね。
第二句の“百千萬劫難遭遇”の“劫”とは、気の遠くなるほど長い時間のことを表します。それが百千万劫ですから、大変な時間ですね。
それだけの長い時間を経ても仏教の教えに巡り遭うのは難しい という意味です。
私たちはたくさんの生物がいるこの世の中に偶然に人間として生まれ、そしてたくさんの宗教がある中で、偶然にこの教えに出会ったのです。
時代や地域、少し違うだけでも巡り合えなかったかもしれない。そう考えたらやはりすごくまれなことなのです。
そして第三句の“我今見聞得受持”。
そんな仏教の教えを、我々は今 見たり聞いたりして 受持=受け取ってしっかりと自分のものとして
このようにして、私たちはありがたいことにその機会を得たわけですから、第四句では“願解如来真実義”つまり、
せっかく得たチャンスを無駄にせず、そこに書かれた 如来の真実義=お釈迦様の真実の教えの意味 を、しっかり理解できますように。
というような意味ですね。
何気なくお唱えしていたお経ですが、こう考えると、やはり出会いたくても簡単に出会えるようなものではないのですね。
そんな貴重な大切な仏様の教えに出会えたのですから、出会えたことへの感謝の心も合わせて、
次に拝読するお経をしっかりと頂戴いたしましょう。