念仏一会(ねんぶついちえ)


 
南無阿弥陀仏  なむあみだぶ

 南無阿弥陀仏  なむあみだぶ

 南無阿弥陀仏  なむあみだぶ

 南無阿弥陀仏  なむあみだぶ

 南無阿弥陀仏  なむあみだぶ

 南無阿弥陀仏  なむあみだぶ

 南無阿弥陀仏  なむあみだぶ

 南無阿弥陀仏  なむあみだぶ    〜繰り返し〜

 南無阿弥陀仏  なむあみだぶつ     

 南無阿弥陀仏  なむあみだぶ

   



 [ 訳 ]

   阿弥陀仏に心から帰依(きえ)いたします。阿弥陀仏に心から帰依(きえ)いたします。


   …………………………………………  阿弥陀仏に心から帰依いたします。


                                                               
                                                 
   説明

    
    摂益文の次は、念仏一会です。

   ここは“念仏をひたすら、まとめて(とな)える”所です。

   お念仏とは、阿弥陀様のお名前に「南無」という“帰依(きえ)する、心から信じ敬います”という意味の言葉を加えてお(とな)えするものです。

   

    そもそも、『念仏』とは“仏を念じること”であり、これには2つの方法があります。

   1つ目は観想念仏(かんそうねんぶつ)といい、阿弥陀様のお姿を心の中に思い描くというものです。

   しかしこれは相当な修行を積まなければできるようにならない難しい修行です。

   そして2つ目は称名念仏(しょうみょうねんぶつ)といい、阿弥陀様の名前を(とな)えることによって仏を念じるものです。

   浄土宗の開祖である法然上人は、誰にでもできるようなものではない難しい修行ではなく、いつでも誰でもどこにいても簡単にできる

   この称名念仏こそが人々を救う道だと考えられ、その教えを広められました。



    本誓偈・摂益文の所でも紹介致しましたが、阿弥陀様は仏となられる前に、仏になろうと発心し、四十八の誓願をたてられました。

   その第十八願に、とても大切な「念仏往生の願」があります。これは『無量寿経』というお経の中に記されています。

   この第十八願を現代語で見ると

    「私が仏となる以上、[誰であれ]あらゆる世界に住むすべての人々が、まことの心を持って、深く私の誓いを信じ、

     私の国土に往生しようと願って、少なくとも十遍、私の名を称えたにもかかわらず、[万が一にも]往生しないというようなことがあるならば、

     [その間、]私は仏となるわけにはいかない。ただし、
五逆罪(ごぎゃくざい)を犯す者と仏法を(そし)る者は除くこととする。」

                                                    (浄土宗総合研究所 『<現代語訳>浄土三部経』P、51)


   というものです。五逆罪とは、“母を殺す、父を殺す、阿羅漢(あらかん)(聖者)を殺す、化身より血を出させる、僧団の和合を破壊すること”ですので、

   親を殺すなど、よほどの大きい罪を犯さない限りは、阿弥陀仏の救いを信じ、心を込めて“南無阿弥陀仏”と少なくとも十回称えれば、

   阿弥陀様は念仏を称えた者を、必ずを極楽浄土へ導き、お救い下さるのです。

   ですので、この念仏一会では、心から阿弥陀様のお救いを信じ、しっかり声に出してお念仏をお称えし、自身の往生を願いましょう。


    
    また、日常勤行式の中では、他にも「十念(じゅうねん)」と「三唱礼(さんしょうらい)」でもお念仏をお称えします。

   十念とは、“十回のお念仏”のことで、日常勤行式を序文(じょぶん)正宗分(しょうじゅうぶん)流通分(るづうぶん)の三つに分けた各部の終わりにお称えします。

   お参りの途中で「同称十念(どうしょうじゅうねん)」と申し上げたら、それは“一緒に声を合わせてお念仏をしましょう”という意味ですので、

   みなさんも大きな声でご一緒にお念仏を称えてくださいね。

   そして三唱礼は、日常勤行式の最後から二番目に、お念仏を三回、節(ふし)をつけて称えるもので、これを三度繰り返します。



    日常勤行式の中だけでも、こんなにたくさんのお念仏がでてきます。

   法然上人がお伝え下さった、いつでも誰でも、どこにいてもできるお念仏というありがたい修行を大切にし、

   しっかり心を込めてお念仏をお称えしましょう。
   
   



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