懺悔偈 (さんげげ)


  我昔所造諸悪業  がしゃくしょぞうしょあくごう

  皆由無始貪瞋痴  かいゆむしとんじんち

  従身語意之所生  じゅうしんごいししょしょう

  一切我今皆懺悔  いっさいがこんかいさんげ




 [ 読み下し文 ]

()れ昔より(つく)る所の(もろもろ)悪業(あくごう)

(みな)無始の貪瞋痴(とんじんち)による

身語意(しんごい)より生ずる所なり

一切我れ今皆懺悔したてまつる



 [ 訳 ]

   私がこれまでに造ってきたところの悪業は、

   すべて(はる)か昔からの私の(むさぼ)り・(いか)り・(おろ)かさから

   私の身で行い、口で語り、心で思っていたことから生じたものです。

   今私はその(悪業の)すべてについて懺悔(さんげ)いたします。






                                                 
  説明

    「四奉請」で仏様を道場にお迎えしたら、次はこの「懺悔偈」です。

   懺悔は、普通“ざんげ”と読みますが、仏教では“さんげ”と読みます。


    懺悔とは、罪を告白し、悪行を悔い改めるということですが、

   懺悔をするには、まず“自分は罪深い身である”と悟ることが大切です。

   なぜなら、悪業をおかしていても、自分では気づかないことが多いからです。


    悪行とは、私たちの身口意の三業(偈文では「身語意」)によって生じます。

   つまり、@身体的行為(行い)、A言語行為(口で語ること)、B心の働き(心で思うこと)です。

   @Aでは、盗みをしたり、悪口を言ったり、色々な悪業がありますが、

   実際にそれを行わなくても『盗もう!』『ずるいことをしよう!』と思っただけでも
   
   Bの悪業をおかしたことになるのです。

   ですから、人間なら誰しも悪業をおかしていると言えますね。

   そして、その悪業をおかす原因となるのが煩悩(ぼんのう)なのです。

   その煩悩の中の代表的なものが、「貪瞋痴(とんじんち)」といい、この偈文の中にも出てきます。

    貪…(むさぼ)り ―足りていることを知らず、求め続けること。

    瞋…(いか)り  ―自制して、耐えることを知らない心。自分の都合と感情で、他人を憎み恨むこと

    痴…(おろ)かさ ―なまけ心。正しいとわかっていることをやろうとしないこと。

   私たちはこの煩悩というものに突き動かされて、知らず知らずのうちにも悪業を積み重ねているのです。

   そして悪業は、どんどん蓄積されてしまうので、ここで懺悔をして罪を告白し、蓄積を減らそうというわけですね。


    法然上人は、浄土教信仰の基本として、

    “私たちが罪悪を積み重ねている凡夫であることをよく自覚すべき”と強調されています。

   懺悔もまずは自分をしっかりと見つめ、自身の罪に気づくことから始まります。

 
    私たちは、そのように罪深い自分であることを自覚し、

   罪をおかしてしまったなら心から反省し、懺悔する心を持ちたいものです。

   自分の心を見つめ、少しでも清らかな気持ちで仏様やお経に向き合いましょう。



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