永正五年~天保十四年
西暦 和暦 | 剣術 | 事項 |
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1508年 永正五年 | 上泉伊勢守信綱生る? | 足利義尹、征夷大将軍となる |
1527年 大永七年 | 柳生石舟斎宗厳生る | 足利義晴入京する |
1550年 天文十九年 | 伊藤一刀斎影久生る | ポルトガル船平戸に初めて入港 この頃から鉄砲の使用始まる ザビエル、山口で布教 |
1565年 永禄八年 | 上泉伊勢守信綱、柳生石舟斎に新陰流の印可を与える | 北条氏康、里見義弘を破る 三好義継・松永久秀、足利義輝を殺す |
1569年 永禄十二年 | 小野忠明生る | 信長、北畠具教を降伏させ伊勢を平定する |
1577年 天正五年 | 上泉伊勢守信綱歿す? | 信長、安土城下を楽市とする |
1579年 天正七年 | 柳生兵庫助利厳生る | 宇喜田直家、信長に降る 安土城天守閣できる 山科言継歿す(七十三歳) |
1593年 文禄二年 | 針ヶ谷夕雲生る?柳生宗矩、小野忠明、徳川秀忠の剣術指南役になる | 秀吉、明の使に和議の条項を示す 台湾高山国に入貢をもとめる |
1598年 慶長三年 | 秀吉歿す 日本軍の朝鮮からの撤兵が略終わる | |
1600年 慶長五年 | 関が原の役 | |
1606年 慶長十一年 | 柳生石舟斎宗厳歿す | 幕府、諸大名の普請役により江戸城増築計る |
1607年 慶長十二年 | 柳生十兵衛三厳生る | 法蔵院胤栄歿す(八十七歳) 出雲阿国、江戸で演ずる 林羅山、幕府の儒者となる |
1615年 慶長二十年 | 大坂の役 大阪城落城 元和偃武 | |
1616年 元和二年 | 徳川家康歿す(七十五歳) | |
1619年 元和五年 | 柳生十兵衛三厳、家光公に仕える | |
1625年 寛永二年 | 柳生連也斎厳包生る | 毛利元就歿す(七十三歳) 寛永寺竣工 |
1628年 寛永五年 | 小野忠明歿す | 幕府目付豊島信満、老中井上正就を江戸城中で殺す |
1630年 寛永七年 | 小出切一雲石英生る | 幕府キリシタンの書籍輸入を禁止 |
1632年 寛永九年 | 「兵法家伝書」成る | 幕府、熊本城加藤忠広を改易 徳川秀忠歿す(五十四歳) |
1640年 寛永十七年 | 契沖生る 三条西実条歿す | |
1642年 寛永十九年 | 「月之抄」成る | 冷害凶作のため大飢饉 幕府譜代大名にも参勤交代を命ずる |
1644年 正保元年 | 芭蕉生る 正保の郷帳・国絵図 秀辰作刀 | |
1645年 正保二年 | 「五輪書」成る 宮本武蔵歿す(六十二歳 | 細川忠興歿す(八十二歳) 沢庵宗彭歿す(七十三歳)幕府江戸市中の大脇差大撫附などのかぶき者を取締る |
1646年正保三年 | 柳生宗矩歿す(七十三歳) | 家光、日光例幣使を奏請 伊勢神宮例幣使再興 |
1650年 慶安三年 | 柳生十兵衛三厳歿す 柳生兵庫助利厳歿す | 徳川義直歿す(五十一歳) 林羅山撰「本朝通鑑」成る 伊勢おかげ参り流行 |
1661年 寛文元年 | 真里谷円四郎生る | 松前藩、蝦夷地の絵図を作成 徳川頼房歿す(五十九歳) 京都大火、禁裏炎上 |
1663年 寛文三年 | 夕雲より一雲印可を受ける この年夕雲歿す(七十歳? | 家綱日光社参 幕府、武家諸法度改定 |
1671年 寛文十一年 | 山内甚五兵衛一直「平法心玉巻」成る | 原田甲斐の斬死 徳川頼宣歿す(七十歳) |
1686年 貞享三年 | 小出切一雲「無住心剣伝」成る | 幕府、全国鉄砲改め令を出す 江戸大伝馬町木綿問屋仲間結成 「武徳大成記」成る |
1694年 元禄七年 | 柳生連也斎厳包歿す | 芭蕉歿す 幕府、旗本・御家人に学問、弓術、馬術を奨励す 柳沢吉保老中格となる |
1697年 元禄十年 | 賀茂真淵生る 幕府、新井白石起稿の武家諸法度公布 | |
1700年 元禄十三年 | 水戸光圀歿す(七十三歳) | |
1701年 元禄十四年 | 契沖歿す(六十二歳) 三月播州赤穂藩主浅野長矩、江戸城中で刃傷、切腹改易される | |
1706年 宝永三年 | 四月二十六日、小出切一雲石英歿す | 柳沢吉保、甲州金の鋳造を許可される 近松門左衛門「碁盤太平記」竹本座で初演 |
1723年 享保八年 | 川村弥五兵衛秀東述「前集」成る | 幕府、諸国人口調査の実施 心中者の刑罰を定める 葵紋濫用者を処罰する |
1725年 享保十年 | 川村弥五兵衛秀東述「中集」成る | 享保大判の改鋳 新井白石歿す(六十九歳) 東大寺戒壇院の再興 |
1742年 寛保二年 | 真里谷円四郎歿す | 幕府、大坂城代に貯蔵銀の江戸廻送を命ずる |
1744年 延享元年 | 寺田五右衛門宗有生る | 幕府、天領の年貢の増徴を図る |
1769年 明和六年 | 賀茂真淵歿す(七十三歳) 幕府、えた・非人に浪人捕縛を命ずる | |
1783年 天明三年 | 白井享生る | 米価騰貴で打ち壊し頻発 諸国大飢饉 浅間山大噴火 尾張藩校明倫堂設立 |
1784年 天明四年 | 佐野政言、田沼意知を江戸城中に刺す この年諸国大飢饉 | |
1785年 天明五年 | 御普請役山口鉄五郎ら蝦夷地調査に向う この年、林子平「三国通覧図説」刊 | |
1786年 天明六年 | 老中田沼意次ら失脚する 徳川家治没 関東・陸奥大洪水 諸国大凶作 | |
1787年 天明七年 | この年、諸国大飢饉 幕府、寛政改革始まる 本居宣長「秘本玉くしげ」成る | |
1788年 天明八年 | 老中松平定信、将軍補佐となる 京都大火 田沼意次没 幕府、抜荷取締り強化 | |
1789年 寛政元年 | 松前藩、アイヌの決起を鎮圧する 幕府、諸藩留守居組合の会合を禁ずる 三浦梅園没 | |
1790年 寛政二年 | 白井亨機迅流に入門 | 幕府、全国に諸物価引下げを命ずる |
1791年 寛政三年 | 幕府、全国に諸物価引下げを命ずる・湯島聖堂で朱子学以外の異学の講究を禁ずる | |
1792年 寛政四年 | 加賀藩、諸流を学べる経武館を設立 幕府、武蔵徳丸原に砲術練習場を設ける | |
1793年 寛政五年 | 松平定信、老中を辞任 幕府、塙保己一検校に和学講談所設立を許す この年、大豊作 | |
1794年 寛政六年 | 新井成美「西洋紀聞」を幕府に献ずる 本居宣長「玉勝間」初篇刊 | |
1795年 寛政七年 | 幕府、江戸・京・大坂・長崎の諸藩留守居会合を禁ずる 朝鮮漁船の漂流船の保護を命ずる | |
1796年 寛政八年 | 白井亨、中西派一刀流中西子啓に入門 | 津藩農民の地割騒動起こる 英人ブロートン、海図作成のため室蘭に来航 津藩農民打ちこわし |
1797年 寛政九年 | オランダの傭船、長崎に入港 幕府、外国船渡来のさい穏便に処置することを諸大名に命ずる | |
1798年 寛政十年 | 男谷精一郎生る | 近藤重蔵、エトロフ島に大日本恵登呂府の標柱を建てる 本居宣長「古事記伝を完成 |
1799年 寛政十一年 | 幕府、松前藩から東蝦夷地の支配権を取り上げ、7ヵ年直轄地とする 「寛政重修諸家譜」着手 | |
1800年 寛政十二年 | 伊能忠敬、蝦夷地測量に向う 五街道分間絵図作成に着手 松平定信「集古十種」成る | |
1801年 享和元年 | 二月、中西子啓歿す(四十七歳) 白井亨武者修行の旅に出る | 幕府、蝦夷地巡視を勘定奉行らに命ずる 伊能忠敬、伊豆から陸奥の沿岸測量に向う 本居宣長歿す |
1802年 享和二年 | 幕府、松前藩から東蝦夷地を永久上知する 幕府、唐物抜荷の取締りを薩摩藩に命ずる | |
1803年 享和三年 | アメリカ船長崎に来航し、貿易を要求、幕府これを拒絶する 麻疹流行し死者多数 | |
1804年 文化元年 | 白井亨、八寸の曲尺を得る | 幕府、津軽・南部両藩に永久蝦夷地警衛を命ずる ロシア使節長崎に漂流民護送来航し貿易を求める |
1805年 文化二年 | 九月白井亨再び武者修行の旅に出、京攝、中国に出る | 幕府、百姓の武芸稽古を禁ずる 諸大名にロシア船来航につき警戒を命ずる |
1806年 文化三年 | 白井亨、備前藩に留まる | ロシア船カラフトに渡来し松前藩会所を襲い番人を連行する 江戸芝の大火 江戸上水道修復 |
1807年 文化四年 | 白井亨備前藩に留まる | 英軍艦長崎港に侵入し、オランダ商館の引渡しを強要 佐賀藩主鍋島斉直、長崎警衛怠慢で蟄居 |
1808年 文化五年 | 白井亨備前藩に留まる | 幕府、仙台と会津藩に東西蝦夷地の守備を命ずる イギリス軍艦長崎港に侵入 |
1809年 文化六年 | 白井亨、備前藩に留まる | 有栖川宮織仁親王の娘楽宮、家慶に降嫁する この年より、オランダ船の長崎入港中絶す 江戸大火 |
1810年 文化七年 | 白井亨、備藩の瀧川俊章より軍法を学び許可を得る | 府、会津・白河両藩に相模浦賀・上総・安房海岸の防備を命ずる 徳川治紀「大日本史紀伝」を朝廷に献ずる |
1811年 文化八年 | 母の病により、滞留していた備前岡山から白井江戸に戻る | 江戸市谷大火 松前奉行所、ロシア艦長ゴロウニンらをクナシリで捕える 加賀金沢の町民、米仲買座を襲う |
1812年 文化九年 | この頃より白井寺田宗有より教えを受ける | 豊後一円の一揆 陸奥白河藩主松平定信致仕する 「寛政重修諸家譜」完成 |
1813年 文化十年 | 伴林光平生る 幕府、大坂町民に御用金を命ずる 富山藩・加賀藩で農民の打ちこわし | |
1814年 文化十一年 | 幕府諸職人が受領名をなのることを禁ずる越後村松藩で新検地に反対して役人・庄屋・富豪宅をうちこわす | |
1815年 文化十二年 | 白井亨、寺田五右衛門宗有より天真一刀流の皆伝を受ける | 陸奥花巻地方南部藩領の農民、郷割などに反対し盛岡城下へ強訴する 杉田玄白「蘭学事始」成る |
1816年 文化十三年 | 幕府、武家屋敷内の博打賭勝負禁令の厳守を命ずる 江戸で疫病流行 畿内・東海道風雨洪水 | |
1817年 文化十四年 | 長州藩、神器陣の第一次大操練を行う イギリス船、浦賀に来航する 琉球、凶作で飢饉 | |
1818年 文政元年 | 白井亨三十六歳、明道論、神妙録、天眞録を記す | 幕府、鎌倉で大砲を試射する イギリス人ゴルドン、浦賀に来航し貿易を要求、幕府これを拒否 |
1819年 文政二年 | 幕府、浦賀奉行を増員する 全国に諸物価引下げを命ずる この年塙保己一「群書類従」正編刊行 | |
1820年 文政三年 | さらに三ヵ年の倹約を命ずる 米沢藩、青そ専売を実施する この年から対馬藩、朝鮮から銀輸入を始める | |
1821年 文政四年 | 九月、寺田宗有浪花より東都へ還る | 江戸町会所、風邪流行により窮民29万7千人に施銭 伊能忠敬「大日本沿海実測地図」完成 |
1822年 文政五年 | イギリス船、浦賀に来航し薪水を求める 御朱印騒動 わらじ騒動 上杉鷹山没72 | |
1823年 文政六年 | 松平外記、江戸城内で本多伊織らを斬り、自殺する この年、強訴、打つ壊し頻発する 大田南畝没75 | |
1824年 文政七年 | 水戸藩、大津浜に薪水を求めイギリス捕鯨船員を捕える 町民・農民の打ちこわし頻発する | |
1825年 文政八年 | 八月朔日、寺田五右衛門宗有歿す(八十一歳) | 幕府、異国船打払令 農民の打ちこわし続く 鶴屋南北「東海道四谷怪談 」江戸中村座で初演 琉球飢饉 |
1826年 文政九年 | 幕府、無宿・百姓・町人が長脇差を帯び、横行することを厳禁する 飛騨大野郡大地震 | |
1827年 文政十年 | 幕府、文政の改革に着手 徳川治済没77 頼山陽「日本外史」を松平定信に献ずる 西郷隆盛生る | |
1828年 文政十一年 | 平山行蔵歿す(七十歳) | 幕府、シーボルトを出島に幽閉 長州藩、銀2700貫目の借上げを命ずる 諸河川洪水 |
1829年 文政十二年 | 幕府、南鐐一朱銀を鋳造する 長州藩、産物会所を設置する 松平定信没72 葛飾北斎「富岳三十六景」完 | |
1830年 天保元年 | 榊原健吉生る | 幕府、凶作で酒造石数を三分の一減を命ずる 水戸藩主徳川斉昭、藩政改革に着手 京都大地震 |
1831年 天保二年 | 十二月十四日吉田奥丞白井亨に入門 | 蝦夷地に外国船渡来し、幕府、松前章広に辺境警備を厳命す 良寛没75 肥前大地震 |
1832年 天保三年 | 吉田奥丞有恒述「天眞傳一刀流兵法」成る | 鼠小僧次郎吉死刑 天保二朱金を鋳造 江戸会所、風邪流行で窮民30万6千人へ施米 |
1833年 天保四年 | 白井亨「兵法未知志留辺」を記す | 美濃大垣大地震 大塩平八郎「洗心洞記」出来る 出羽・越後大地震 安藤広重「東海道五十三次」できる |
1834年 天保五年 | 河上彦斎生る | 越前・南部・奥北浦などで打ちこわし、強訴、一揆おきる 佐久間町より出火で江戸大火 大坂大火 |
1835年 天保六年 | 「兵法未知志留辺」上下二巻版行 | 仙台大地震。幕府、天保通宝を鋳造し、鉄銭を増鋳する 長崎在留中国人、統制強化を不服に番書を襲う |
1836年 天保七年 | 山岡鉄舟生る | 徳川斉昭、常陸助川に砲台を築く 東大寺正倉院開封 全国飢饉で死者10万人におよぶ |
1837年 天保八年 | 徳川慶喜生る この春、諸国大飢饉で餓死者多数 諸国に疫病流行、幕府、簡易救済処方書を頒布する | |
1838年 天保九年 | 徳川斉昭、内憂外患についての意見書を作成し翌年六月に幕府に提出する | |
1839年 天保十年 | 幕府、渡辺崋山・高橋長英らを捕える 釧路・厚岸大地震 江戸城西の丸修築 | |
1840年 天保十一年 | オランダ船長崎に入港し、阿片戦争勃発を伝える 出羽庄内藩農民、藩主移封に反対して江戸に訴える | |
1841年 天保十二年 | 「天眞白井流兵法眞剣払捨刀之巻」吉田奥丞写す 水戸弘道館開設水府流 | 徳川家斉没(69) 天保改革始まる 渡辺崋山自殺 幕府、庄内藩領民の訴えをきき、領地替を撤回する |
1842年 天保十三年 | 幕府、諸大名に軍備の強化を命ずる 琉球使節、将軍に謁する 市川海老蔵を所払いとする | |
1843年 天保十四年 | 「兵法未知志留辺拾遣」述 十一月十四日白井亨義謙歿す(六十一歳) | 幕府、諸国人別改を命ずる 四谷角筈に大砲射撃場完成 釧路・厚岸大地震、小田原大地震 |
関連文献
書名 | 著者 | 出版社 | 刊行年 |
日本史年表増補版 | 歴史学研究会編 | 岩波書店 | 1993 |
改訂史料柳生新陰流上下二巻 | 今村嘉雄 | 新人物往来社 | 1995 |
剣道五百年史 | 富永堅吾 | 百泉書房 | 1972 |
甲子夜話 | 松浦静山 | 平凡社 | 2006 |
撃剣会始末 | 石垣安造 | 島津書房 | 1900 |
直心影流極意伝開 | 石垣安造 | 島津書房 | 2001 |
示現流兵法 史料と研究 | 村山輝志 | 島津書房 | 1996 |
正伝・新陰流 | 柳生厳長 | 講談社 | 1957 |
柳生新陰流道眼 | 柳生延春 | 島津書房 | 1996 |
兵法一刀流 | 高野弘正 | 講談社 | 1985 |
一刀流極意 | 笹森順造 | 体育とスポーツ出版社 | 1986 |
書名 | 著者 | 内容 | 版行年 |
兵法家伝書 | 柳生宗矩 | 全一巻 | 寛永九年九月 |
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天真白井流兵法譬咄留 | 吉田奥丞 | 全一巻 | 天保三年八月吉日 |
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心底ノ抜書 | 吉田奥丞 | 全一巻 | 嘉永六年八月吉日 |