『テニスクラブ会員投稿日誌』

★第4号:
『スキーバス添乗員の思い出』(スキーの続き)
(投稿者:会員=しゅうさん)

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今から14年前以前に、大阪に居住していた時分、アマチュアのスキークラブに所属していた。

当該クラブには国体に参加する人もいたから、スキーの上手い人も多くいたのだろう。 クラブは、観光会社からの委託を受け、クラブ員がスキーバスツアーの添乗員をしていた。 2-1名が1組になって、各地のスキー場行きのバスに割り当てされた。 行き先を希望することも出来たが、指名されることが多かった。金曜日の夜発、月曜日の朝着の、 3泊(車中2泊宿1泊)2日の宿泊セットスキーバスツアーの添乗員をするのである。 特に連休時には、クラブ員への添乗員要請が多かった。

当該バスツアーでは、無料初級スクール付きが売り物で、参加者は、現地での、午前中2日の講習を 希望できる。添乗員のクラブ員は、そのコーチをも兼ねていた。 ただ、講習希望者がいなければ、クラブ員は午前も午後もフリーとなり、自由に滑ってよいことに なっていた。また、クラブ員には、現地スキー場から、リフト乗り放題の『パス』等を貸与されるの が、普通であった。 つまり、クラブ員は交通費・宿泊代・リフト代が無料で、毎週土・日曜とスキーに行けたのである。 クラブ員は、学生が主であったが、少数だが私のような会社員もいた。

昭和62年くらいから、上京の平成3年まで約5年ほど、所属していたかと思う。 赤倉温泉・乗鞍高原・志賀高原・栂池など、主たるスキー場に、何度も行くことが出来た。 当時バスにトイレはないので、添乗員は、トイレ休憩の度に、起きて、人数を確認しなければならず、 ゆっくりとは眠ていられない。 また、貸しスキーの世話や、食事の段取りとか、荷物の出し入れとか、バス運転手の助手として、観光会 社の社員もどき作業があり、大変ではあったが、裕福でない、スキー好き人間にとっては、ありがた いシステムでもあった。 クラブの制服(スキーウェアー)も揃っていたし(個人で購入するのだが)、スキー靴とか板とかの ブランド中古品も、たまには格安で入手できた。

大阪駅駐車場から、バス100台以上の出発が、記憶では 最盛期であったろうか。 あの頃は、雪も多く降っていたようで、帰路の道路が、大雪で渋滞となり、月曜日早朝帰着の予定が、 遅れに遅れて、夕方帰着となったことも、懐かしい思い出である。

その後、千葉に移住してからは、新しい会社もスキーを禁じていた(骨折を嫌っていたらしい) ことで、スキーとは縁遠くなってしまった。また、スキーバス自体が、利用客の減少で、ブームでは なくなってしまった。マイカー利用が増えたのだろう。 宅配便の普及、レンタルスキーセットの高級化等で、手ぶらで、電車での現地往復も増え、スキー板 を担いで、夕方集合場所に列を作って、夜行バス・夜行列車に乗るという、熱い活気はなくなった感が ある。

(05/08/06)
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