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佳人薄命か(勘違いの結末・・・)(自然周吾)

我が家では、私の退職以来新聞は嫁さんのものとなった。私は専ら、パソコンでニュースを読み、新聞は読まないでいる。
朝、嫁さんが、時たま、死亡記事等を見て、『○○さん、を知っているか』と聞いてくる。有名人の場合だが、知っている とか、知らないとか、一応返事をすることにしている。

今日も、朝『○○さん、を知っているか』と聞いてきた。名前も知らないので、知らないと応え、学校のテニスに出かけた。

昼、学生食堂TVでNHKのニュースを見ていたら、「エッセイストの絵門ゆう子さん死去」(詳細へ)を報じていた。写真を見て、「・・・」。
以前NHKのアナウンサーで、見覚えがあった。当時の名前は”池田裕子”と画面に出ていた。
そうだ、当時、私は、”池田裕子”アナウンサーの1ファンであった。

突然にNHKから消えて、ドラマで登場していたのを見た気はする。が、その後、最近、NHKのアナウンサー”柴田由起子??” (新本の解説番組とか、経済解説番組ー近々では、山田電気の社長とか、PHSのウイルコムの社長とかをスタジオに呼んで インタビューする番組の司会として登場していた。)が、結婚して再登場している”その人”だとずっと思っていた。 (名前や面影が、どこか似ていたから・・・。)

だから、今日の報道で、本当にびっくりした。互いに別人だったこと、と、49歳早死だなあということ、との驚きである。
(”柴田由起子??”アナウンサーの名前と、その経済番組名をいつか正確に、確認するが、今は、不確定のまま掲載する。) (⇒後日確認:備考へ)

アサヒコムと、新聞で以下は確認した。ペンネームは絵門ゆう子であった。
NHKの女性アナウンサーは、突然に結婚してか、いつのまにか苗字が変わって画面に登場してくる。
だから、別人かと思い、あのアナウンサーはどうなったのかと・・・、気になることが多い。

私は、平均的日本人の代表の一人であると確信している。つまり、私が思うことは、大多数の日本人の思いと通じているのである。
すなわち、私が、「良きアナウンサーで、嘱望がある」 と、思うと、その人物には、やがて人気が出てくるのである。
因みに、それを証明する2つの事例を述べておこう。
1.テニスのダベンポートが、デビューした頃、これは大物になると回りの者に話した。(グラフを抜いてトップにもなっている。)
2.歌手の天童よしみを美空ひばりの再来とPRした。(カラオケで率先して天童よしみの唄を歌った。今でも舞台衣装には納得できない ところがあるが、唄そのものは人気が出て、歌謡ショーでの常連になっている。)

当時のNHKの人気者、池田裕子元アナウンサーのご冥福を祈る。

(06/04/06)(文中敬称略)
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アサヒコムより、
エッセイストの絵門ゆう子さん死去 がんを患い活動
2006年04月06日06時19分
 絵門ゆう子さん(えもん・ゆうこ=エッセイスト、本名三門裕子=みかど・ゆうこ)が3日、転移性乳がんで死去、49歳。
葬儀は7日午前10時30分から東京都中央区明石町10の1の聖路加国際病院礼拝堂で。喪主は夫健一郎さん。
79年、NHKにアナウンサーとして入局、ニュース番組などを担当した。フリーアナウンサーや女優としても活動。
がんを患ってからは、自らの体験を著書「がんと一緒にゆっくりと」にまとめたほか、講演活動などを続けていた。
03年11月から本紙東京版に「絵門ゆう子のがんとゆっくり日記」を連載していた。

絵門ゆう子さん関連書籍

●『がんでも私は不思議に元気』
著者:絵門 ゆう子 出版社:新潮社 発行年月日: 2005/12/20

● 『うさぎのユック』
著者:絵門 ゆう子・山中 翔之郎 出版社:金の星社 発行年月日: 2005/01

●『がんと一緒にゆっくりと―あらゆる療法をさまよって』
著者:絵門 ゆう子 出版社:新潮社 発行年月日: 2003/05

●『生きているからこそ』
著者:絵門 ゆう子・石川 文洋・浜辺 祐一 出版社:日本標準 発行年月日: 2006/03


★備考:柴田祐規子アナウンサー:NHKTV総合、日曜、朝8時25分『経済羅針盤』キャスターとして登場。衛星第2、日曜、朝8時『週刊 ブックレビュー』司会に登場←最近ではないかも知れない・・・。(06/04/11)
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