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おせっかいレベル(関係・無関係)(自然周吾)

自分の身に降りかかる火の粉は払わなければならない。しかし、直接降りかからなければ(関係なければ)見て見ぬ振りは出来る。
人は、直接関係する自分への利害で動くものである。『関係ない!』で理不尽な行動にも目をつぶることは可能である。
多くの人は、出来るだけ互いに、厄介な関係を持たずに生きようとしている。

おせっかいな人は、よく言えば、あらゆる他者間との関係が自分にも関係するという見地から、自分の問題として関わりをしてくる人と して評価できる。宇宙的見地からは、すべての人・物は皆繋がっていて、自分と無関係な人・物はないといえる。
人の繋がりは、生物として、元を糾せば1組の男女から発生した。
すべての物は、この地球家族に存するという考え方をすれば、本来は皆”おせっかい者”であるべきなのだろう。
望むべき”人”は、”おせっかい者”であるといえる。

だから、重要なのは、”おせっかい者”の関係レベルの設定であろう。
関係度を100分割すれば、100は、直接自分に降りかかる関係である。0は存在しない。身内関係は100に近く、外国等遠方関係は低い数値 になるだろう。

さて、具体的に、他人に降りかかる火の粉をどうするかという問題である。

第3者から見ると、理不尽な火の粉がその人に降りかかっているとしても、それを直接払ってやることは、しない方がよい。 振り払うかどうかは当人の判断だ。第3者は、当人に理不尽な火の粉が降り注いでいることを指摘する。それも、”私には、 そう見えるが・・・”と婉曲に指摘するのである。後は、当人がそれを理不尽と解釈するか、振り払いたいのかを決めるのである。
もちろん、当人から”振り払いたい”ので手伝ってとの依頼があれば、出来る程度で援助すればよい。

避けるべきことは、当人の意見を尊重せずに、こちらの判断・価値観で、当人への火の粉を直接払ってしまうことである。 私の言う、望むべき”おせっかい”は、見境のない”おせっかい”ではない。
後々生ずるであろう自分との関係をも考慮した、第3者としての指摘である。当人が気にしない”火の粉”であれば、私と当人との見解の 違いであって、それによって、今後の私と当人との相互関係レベルが変わるだけである。どの方向に変わるだろうかを、覚悟しての関わり である。

(06/05/25)
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