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世の中、今、活動基準は、『儲かるからする』『儲からないからしない』の二者択一ではないか。
しかも、『儲かる』の判定が、目前においてである。将来云々というような話ではない。今すぐ『儲かる』かどうかが基準である。
もっと、どっしりした、長期の判定は出来ないのだろうか。軽少・軽薄の元凶がここにある。
私は、愚鈍に、単に『儲かる』から、を基準としては活動しないようにしている。
儲かる話には、不正の臭いが強い。真っ正直な生き方では、そんな、儲かることはあり得ない、と思っている。
儲かる話には、胡散臭い匂いがする。自分は損をせずに、他人に損をさせ、儲けることをたくらむのである。
そういう生き方に組しないように、用心する。石橋を叩いても渡らない、という生き方が、私には合っている。
自給自足の生き方を入れて、ひっそりと生きていくのが正しい生き方であろう。
そうはいっても、自分ひとりだけ、清くは生きられない。常に正しくは生きられない。
銀行に預金すると、銀行はそれをサラ金に融資する。そして、市中にはサラ金が闊歩し、大もうけをしている。
そのお裾分けが、銀行に入り、私の預金利子にも反映している。預金金額は少額だが、預金を通じてサラ金を補助していることに
間違いは無い。銀行預金を利用せざるを得ない。
そもそも、生きていることが、呼吸することが、二酸化炭素を排出していて、結果、地球温暖化に、寄与している。
ゴミをためるのも罪(『ゴミ屋敷』)、ゴミを出すのも罪、なのである。
ともかく、生きていることが、他者に絶対的に迷惑を掛けていることであり、その点から、全く罪の無い生存者は居ないのである。 出来ることは、いかにその罪を減少させ(他者への迷惑を無くし)、何とかより大きく他者利益を返せるかであろう。
人生を事業年度に例えれば、死がその決算日である。しかもその決算日は、既定されていない。期間の定めの無い、1事業年度だけ
である。死=決算日で収支が確定する。だから、決算日までの活動では、結果よりプロセスこそを最優先してよいだろう。
儲かったり、儲からなかったりと、いろいろ在ってもいいのである。様はバランスである。決算日まで、事業を破産させずに継続する
ことが大切である。
そして、さらには、自分の1事業年度さえも、プロセスと見なし、100年、200年のスパンを、決算日と考える人もいる。自分の1事業
年度50年-80年程は、単にプロセスである。決算日は、もっと先で、すなわち、死んだ後の収支で、幾分の利益を上げたいと思っている
人もいる。
数100年のスパンを1事業年度と考え、人生のすべてをバランス感覚で、プロセス重視で、毎日の生活を一生懸命継続したいものである。