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挑発と暴力(自然周吾)

サッカーW杯決勝でフランスのジダン選手が、イタリアの選手に頭突きをして退場になった試合は、 早朝TVライブで観ていた。 余程の理由で、頭突き(暴力のファウル)をしたのだとは想像し、同情するが、やはり、ファウルとして認めざるを得ないし、 暴力は認められない行為である。

言葉の暴力とはいうが、言葉の挑発に乗って、暴力行動を起こした結果は、如何せん、結果である。
挑発に乗るか乗らないかは、人によって差異が生じるが、プロ選手であれば、乗らないべきだろう。スポーツは感情によって戦力に 影響するが、言葉の挑発を、規制することは出来ないと思う。また、規制してはいけないのではと思う。規制する言葉を確定することは できないと思うのである。個々人の常識に期待する、自主規制しかないだろう。

対審判との間でのやり取りであれば、審判が、即、その場で、判定できる。(テニスでも、野球でも 同じである。)しかし、審判の見えないところでの選手間のやり取りでは、審判が見い得た”結果”でしか、判定しようがない。
プロセスは判定できないだろう。プロセスを審判に判定させる事は出来ないのである。観察できる結果が出なければ、挑発の言葉の 暴力に対応した結果の暴力との一連のプロセスが見えず、判定しようがないのである。

見えない挑発のプロセスを”正当”として、観察された結果(=暴力)を”許す”とする判定をしては、 ファウル判定が複雑になり、ゲーム運営に支障をきたす。
スポーツゲームでのファウル判定は、シンプルでなければならない。観客にも分かりやすい判定基準があってこそ、多くのファンを 魅了するスポーツに成るのである。

品位と基本的人権を尊重するスポーツマンシップを選手・観客共に有することが、望まれる。 (テニスでも、マナーが優先だ。)

政策・思想・個人の主張を表現するためにスポーツを利用するのは、正道ではないと思う。
私は、出来れば、ジダン選手は、ピッチ(テニスではコート)では、結果(=暴力)を表現せずに、別の機会に訴えて、ピッチでは 我慢していたことを発言できたのではないかと思いたい・・・。

結果(=暴力)が(挑発が悪いから)OKと認められたら、スポーツの世界は、混乱するだろう。また、 挑発を一切抑えたら、言論の自由そのものが、制約を受け兼ねない。

難しい問題だが、スポーツマンシップを主張し、尊重する機会だとも思う。

(06/07/13)

参考:MSN毎日インタラクティブ7/13より以下転載。
『W杯特集
●ジダン選手:問題発言は姉への侮辱か 伊紙報道
 【ローマ海保真人】サッカーワールドカップ(W杯)決勝で、フランスのジダン選手が、イタリアのマテラッツィ選手に頭突きをした 問題で、13日付のイタリア各紙は、マテラッツィ選手が、人種差別やジダン選手の母親に関する侮辱発言を「していない」と明言した ことを伝えた。』

●『ジダン:彼は耐え難い言葉何度も…テレビ発言の要旨
テレビ番組のインタビューに答えるジダン選手=12日、ロイター サッカーのワールドカップ(W杯)決勝で退場処分を受けた フランスのジダン選手が、12日にテレビで行った発言の要旨は次の通り。
(マテラッツィ選手が)シャツを引っ張るので私は欲しいなら試合後に交換してやると言ったんだ。そうしたら彼はとても耐え難 い言葉を口にして、それを何度も繰り返した。言葉は暴力以上に激しいことがある。私の非常に奥深いところに触れる言葉だった。 (侮辱の中身を言うのは)大変なことだ。母と姉にかかわる極めて個人的な内容だし、非常に激しい言葉だ。一度耳にしたら逃げ 出したくなるような言葉だ。私は実際に逃げ出したが、二度、三度と耳にした。
何よりもまず自分は男だ。だから立ち向かった。もちろんやるべき行為ではない。テレビで20億人、30億人の人たちが(決勝 戦を)見ているわけだし、何百万もの子供たちが見つめているのだから。彼らに対して自分は謝罪する。
(しかし)自分の行為を後悔するわけにはいかない。後悔すれば(マテラッツィ選手が)ああいう言葉を口にするのは正しかった ということを意味してしまうからだ。それはできない。
(国際サッカー連盟に)言いたいことは、挑発がなければ、それに反発する(暴力)行為も起こり得ないということだ。責められ るべきは挑発してくる人間だ。W杯の決勝で、自分の選手生活の終わりまであと10分しか残っていないという状況で、自分の喜 びのために私があんな行為をやったと思いますか。
わたしがやったことは許されない行為だ。しかし言いたいことは、本当に責められるべき人間を罰する必要があるということだ。
たくさんの人が(もう一度プレーする気はないかと)声を掛けてくれるが、(引退は)既に決めたことだ。(共同)』

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