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レッテルによって、瞬時にその中身をイメージする。レッテルがなければ、かなり具体的に多くの言葉を発して、相手にイメージ を創らせなければならず、情報の伝達には、時間を要する。
だから、レッテルの効用は大きい。しかし、あくまでも、レッテルは、大方の中身を表示するのであり、そのものと決め付けるのは、 危険である。レッテルと中身が全くのイコールと思い込むのは、間違いであるといえる。
人によって創るイメージは微妙に違う。レッテルからの創造のイメージには微妙な違いが生じる、
まず始めに、レッテルが間違ったイメージで貼られたかもしれない。また、正当にレッテルを貼られたとしても、観る人は、
自分のレベルで、中身をイメージするからだ。
すなわち、レッテル貼りの時点でのイメージにばらつきがあり、レッテルを観る個々人のイメージにもばらつきがあるということである。
レッテルは、情報の伝達に必要な手段だが、あくまでも概要を表示すると認識しておこう。
レッテルの代表は、氏名である。
女優の沢口靖子の写真を観るたびに、(間違っていなければ)『新聞の広告写真掲載で自分の写真に氏名を入れた、最初の人物』という
思いが浮かぶ。
当該広告に、賛同している責任を明記した、と沢口靖子の氏名表示そのものには好感を持っている。
私は、サラ金の広告塔に登場する俳優達は、広告主の主張に賛同していると見なす。私はサラ金=高利貸し、との偏見を持っている。
だから、好きな俳優でも、1歩身を引いて構えてしまう。
広告宣伝に登場する場合、しっかりした自己主張の自覚なしで、チャランポアに時勢に乗って登場(映像を含む)すると、広告主の主張を 増幅し、同じ主張を持っているものとして”同化”したと見なす。
故に、私もペンネームで登場する時でも、ペンネームをはっきりと明示して自己を主張しよう。
(06/10/03)