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広く教えるレッスンから、学ぶ個人レッスンに(自然周吾)

テニスだけでなく、あらゆることに適応するものは、教育は個人レッスンであるということである。

物事の基本は、セオリーは、一般論であり、それだけを身に付けても、個人的進化はしない。 基本は出来る、基本は理解した、だからどうなのだ、である。 大切なのは、基本から実践への応用である。適応である。

直裁に言えば、『試合に勝つ!』ことである。 (美しいフォーム創りを目指すことも、結果としては、上手くなり、試合に勝つことに繋がる。)

より美しく、より上手くなりたいという、意欲・向上心が、まず、個人の中に芽生えなくてはならない。

意欲・向上心が芽生えた時から、個人レッスンが始まるのだ。 自分の求めるモデルを見つけ出すこと、技術の本を読むこと、先達の意見を聞くこと、で始まる。 そして何よりも、実践で、繰り返し練習し、多くの体験をすることであろう。継続することである。

歩くことを止めれば、歩けなくなろう。走ることを止めれば、走れなくなろう。ピアノを弾くのを 止めれば、弾けなくなろう。テニスを止めれば、出来なくなろう。

興味を持ち、美しいフォームで、上手くなろう、と言う気持ちの高揚が、まず第一である。そして、 学ぶことである。教わることである。継続することである。 自分にとってのみ(一般的ではない)必要なことを、である。

教師も一般論を”教える師”ではなく、自分のための”教わる師”を見つけるのである。 自分が手本に出来る、”自分だけの師”(肩書きのない師、でよい)をいかに見つけるかである。

レベルは別として、試合は、楽しく、美しく、勝ちたいものである。

(06/10/24)
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