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他人の立場にたって物事を考える、ということは、可能であろうか。結論としては、”無理である”。
他人の気持ちで考える、という意味であるから、”無理である”。
というのは、いくら他人の立場に立っても、自分の考えでしか、考えられないからである。
他人のことを慮るとは、他人の立場で、自分の事を慮ることではないか。
自分の枠を越えて、物事を考えられるわけがない。
自分の悩みは、自分でしか悩めず、自分にしか解決できない。同じように、他人の悩みを代わって悩むことは、出来ない。
卑近な話で恐縮だが、他人に代わって、トイレにいけない! のである。
個に分割されてる限り、代替は不可能である。だから、個は独立して、尊重される。そして尊重されるが故に、個々は統一されない。
個は個として生存すべく、創られている。
個を超えた全体を考えて云々など、実際にありえることだろうか。個人の延長線上の、全体としか考えられないのではないか。
個人主義でしか存在できないのではないか。
故に、個を全体の中に埋没させることは、個が、生きることを止めたということではないか。
個が生きるための社会であるというのが、どうしても前提である。
それでも、社会に奉仕する個という、理想を掲げないと、個も社会も、共に共存できなくなるだろう。
偽善なる共存の理想であろうか。
追記:
教わる⇒結果、教えられたとおりには出来る。が・・・。学ぶ⇒違った方法でも、自分のために適応できる。
つまり、学ぶことで、教えられた方法を自分で工夫し、自分に合った方法に改善して、身に着けなければその技法は、有効に
(生き続ける上で)活用できない。
具体的な例では、自分で作ったHPならば、修繕し、改良できるが、専門家に創ってもらったHPでは、自分では修繕できない。
見てくれが悪くても、自分の実力に合ったHPを創り、運用出来れば、自分のHPであると、主張できるのである。