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スポーツでは意地悪が・・・(自然周吾)

全く駆け引きのないスポーツはあるだろうか。
野球然り、サッカー然り、テニス然り、である。

野球でピッチャーが直球しか投げないと決まっていたら、打者は相当に有利であろう。
一方、バントもなし、盗塁もなしのルールであったら 守備は相当楽である。結果、勝敗のハラハラドキドキは、少なくなりゲーム自体がつまらなくなるだろう。

ピッチャーはいかにして、打者に巧打を打たせないようにするか。打者はいかにして、塁を奪い、得点を得るか。
ルールに基づき、互いに、相手の意表を突き(相手を騙して)、いかに勝敗を有利に導くかを工夫するのである。
特に技量が互いに同等であるなら、その意表の工夫違いで勝敗は決するかも知れない。それほど、意表を突く巧みさは、有効である。

それを”ずるい”という言葉で、評価してはいけない。”騙し”の巧みさは、訓練しなければ得られないし、 実際の場面でも観れるように、失敗による失点の危険性とも裏腹である。敢えて危険を冒して実施する勇気を見たい観客もいるだろう。

野球やサッカーの多人数のチーム戦と比して、個人戦(厳密にはダブルスがある)と言えるテニスでも、”騙し”の巧みさが、 勝敗を決することが多い。ドロップショット、ロブの技法は、意地悪そのもののショットであろう。
フェイントショット、フェイントステップなどは、メンタルな駆け引きとして、常時利用されている。
逆を突くショットなどは、我々レベルのプレーヤーでも有効な技法である。

ならば、人間的に意地悪な人が、スポーツが、得意といえるか。人間的に素直な人は、スポーツで、弱いといえるか。
素直な人は、スポーツでも”素直”でなくてはいけないと、心から思っているだろうか。

人は場に合わせて変わってもいいのである。むしろ変わらなければやっていけないのかも知れない。
ただ、場によって、変えられない性格だとしたら、意地悪より、素直な性格を表出し続けたいものである。

(06/11/29)
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